日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

耳に心地よく

香川県のとある市の役所に電話をした。他界した姉の戸籍を手繰り寄せる必要があった。姉の一家は横浜に住んでいたが調べてみるとその本籍地は香川県と知った。結婚相手が香川の人だったのだからそれを機会に横浜からそこに戸籍を移したのだろう。

市役所の戸籍係だった。対応の女性と話していたら、いつの間にか話している相手が義理の伯母に思えた。産まれてこの方香川で暮らしてきた彼女は他の地方の言葉の影響を受けていない。生粋の香川弁をしゃべるのだった。役所の女性の言葉も発音や言葉尻が余りに懐かしく、電話越しなのに瀬戸内海の香りがしたのだった。香りが電波に乗って受け手に届くことを初めて知った。香りばかりでなく風景も電波で届いた。讃岐富士・飯野山土器川の向こうにすうっと立っていた。

流石に自分でも少しは科学的な知識も身についている。即座にそれは現実の匂いや風景ではなく頭の中の五感だと察した。

父母は共に香川で生まれ育った。地元の縁で夫婦になったのだろう。見合い結婚が当たり前だった。自分も香川で生まれたが父の転勤で育ちの大半は横浜だった。しかし父母や同じく上京していた叔母家族との話すなかで自分の中で香川の言葉は標準語だった。その後広島で中学高校の六年過ごす機会があった。その地の言葉も香川に近いともいえたがまた違っていた。広島の言葉には勢いがあり、香川の言葉には奥ゆかしさがあった。特に、女性が話すとそうだった。言葉尻とイントネーションが、柔らかいのが香川の言葉だった。

「ああ、エラかった。ホッコげなこと言わんと。」といった話し言葉など内容は必ずしも優しくもないが耳には気持ちよかった。これが「ああ疲れた。馬鹿らしいこと言わないで。」となるととても味気ない会話になる。

要件は済んだ。電話を切った。役所の職員さんなのだからフォーマルに話しているつもりなのだろう。しかしやはりNHK的な日本語ではなかった。耳に心地よい。そこがとても嬉しかった。

方言とは素晴らしい。恥ずことなくそれを話せばいいのに、と思う。関西弁はメディアを通じて日本の中で広く伝わっているが、他はどうだろう。方言で話して相手に細かいところが伝わらなくともそれでよいではないか。面と向かえば口ばかりでなく目もあるのだから真意は絶対に通じる。

故郷の言葉があることが誇りであるし喋れることが幸せだった。しかしあまりに長い他県での生活で言葉のニュアンスは失われつつある。幸いに自分の喋る片言の香川弁は広島弁と混じってはいるが我が家の標準語だ。僕はそれを「瀬戸内海弁」と勝手に称している。東京育ちの妻にそれを求めるのは酷な話だが自分の影響だろう、子供たちは怪しげだがそれらしい喋りが出来る。素敵な文化は消したくない。    

 

香川の風景とは瀬戸内海と讃岐富士・飯野山。ある年にしまなみ海道を自転車で走り懐かしき地をも走った。この時に初めて飯野山に登った。それは土器川の土手からみると絶品だった。山頂では穏やかな瀬戸内海と箱庭のような讃岐平野が広がった。柔らかい言葉に包まれる。香川人として元服できた、と思えた日だった。

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