日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

図書の旅20 辻が花 くれない(立原正秋)

・辻が花 くれない (立原正秋・1998年・メディア総合研究所)

2か月前に立原正秋の短編集1巻を借りた。渚通りというタイトルだった。この短編集は第2巻・辻が花、第3巻・くれない がある。学生の頃から好きな作家だったのでもちろん二冊続けて借りてしまった。好きと言っても読み倒したわけでもない。当時買った文庫で手元に残っているのは「恋人たち」とその続編「はましぎ」の二冊だけだ。あと数冊は散逸してしまった。

第1巻と同様に、自分の美意識を軸にした主人公が登場するが、時としてそれはひどく投げやりで虚無感に満ちていた。立原正秋氏がその文筆に書きたいことは何だったのかを考えた。

作者は朝鮮半島で日本人と韓国人の間で生まれ5歳まで当地のお寺で育ったという。その後はいくつかの縁者に預けられた後、母が移住していた横須賀に移り戦中は勤労学生として過ごす。複雑な生い立ちと苦労が彼に自己の強さの大切さと独特の価値観を植えたのだろう。また、能、茶、陶磁器、着物、庭といった日本独自の文化に傾倒し世阿弥を読み作家を意識したという。

今自分自身を振り返るなら、物事の考え方や価値観などは自分の生い立ちと切れないことが良くわかる。生を受けた香川の瀬戸内海の穏やかな風景が自分の心の底辺にはいつも在る。会社勤め人の家族のもと、病弱だった以外は不自由なく育ったという事からある種の「甘さ」があることも認めざるを得ない。古い価値観や因習にとらわれた母親に対する反抗心が攻撃的な自分の性格の種であることも、よく認識している。いや、人や環境のせいにするのは良くない。何処かで乗り越えられたはずだが、自分は越えられなかった。

立原氏のこの三冊の短編集は、短編が故に彼の持つ思考なり嗜好が端的で明瞭だと思う。三冊で二十の掌編を通じて、男女の性愛の姿、とくに不義の形になすすべもなく堕ちていく女性と、それを知りながらもただ冷静に視る男性。それぞれが今の自分の状況を知りながらも流れに身を任すだけという虚無感を描いている。彼が没入したという日本古典史や伝統文化はそんなストーリーを際立たせる重要な役割を果たしている。結局すべてはうつろいで人の世はあるようにしかならない、そんな無常観を書きたいのだろうと想像する。やはりそれは作者の生い立ちから生まれたのだと思う。立原氏はそれを乗り越え文学に残すという形で昇華したのではないか。作者が作品に込めたそれ以上の思いは、今の自分には分からない。

立原氏の逝去は1980年、54歳没。今を生きていたら彼の描く女性像も大きく変わっている事だろう。それをとても読みたいと思う。しかし、弱さと強さ、自分はこうあるべきだという軸を持つことの大切さには今昔を問わないだろう。自分が「頸直」という言葉を知ったのは彼の作品だった。全く強く正しく、自らを律するという事は難しい。学生時代に読んだ 冬の旅 や 冬の形見 にもう一度触れようと思っている。まだまだ学びたい。

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