日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

図書の旅31 荒地の家族 佐藤厚志

● 荒れ地の家族 佐藤厚志 新潮社2023年

会議が終わったころだった。ドスンと地面が揺れてしばらく続いた。周りから「おお!」と声がした。昭和30年代製の旧い鉄筋建築の中に居た自分は怖くて外に出てしまった。防災訓練がいきわたっている社員はみな大人しく机の下に隠れている。自分はその事務所に配属されたばかりで勝手がわからなかった。揺れは長くただ事ではないと思った。そこは静岡県の駿東地区だった。東京方面に戻る新幹線が止まっていると知り帰宅難民となった。家族三人は無事だった。やりようもなく夕食を買い込んで同じ境遇の社員たちと事務所で寝ることとした。アメリカのCNNニュースサイトをみると無修正のとんでもない映像が流れていた。津波で街と人が消えていくのだった。

本を読もう。そう思って図書館に行っも放っておくとどうしても自分が青春時代に熱中した作家に行きついてしまう。北杜夫遠藤周作吉行淳之介開高健、初期の渡辺淳一立原正秋あたりだった。村上龍村上春樹は当時は何故か接点を持たなかった。太宰治三島由紀夫は大きな壁に思えて殆ど読まなかった。触れるのが怖かったのだろう。歴史ものに関心が無く残念ながら司馬遼太郎も読んだことが無い。随分と偏った読書だった。古い作家ばかりではいけない、と図書館の新刊本棚を見るが見知らぬ作家にほいと手を出すのにはためらいがある。何故だろう。音楽も同じで知らないミュージシャンや作曲家の作品を聴く事は余りない。アンテナを自ら下げている。残念な話でもある。

最近の作家の名前は殆ど覚えられないが新作棚で手に取った。第168回芥川賞受賞作とある。しっかり読んで何かを得たい、と思った。

2011年東北大震災を題材にしていた。あの時の揺れとCNNの光景を思い出した。震災にあい辛うじて生き残った家族。しかしその数年後に過労から妻は死に再婚した妻との間の後妻との間の子は胎児のまま死んでしまう。主人公はそんな不条理の中虚無を感じながらも懸命に生きる。彼の頭の中にはいつも津波の光景があり死がある。そして友は心の荒廃から抜け出せずに自死を選んだ。それでも主人公は生きなくてはいけない。自らの非力を感じながら。

自らの無力。それは癌病棟にいた自分も感じていた。天命には抗いようもないという事、自分はそれに対して何もできない事。それを感じざるを得ない環境だった。東北大震災は約600キロ離れている静岡に居た自分にも感じた強い衝撃だった。地元の方の負った傷は想像もできない。宮城県に銀行員の友人がいるが彼がその数年前まで勤務していた支店は津波で多くの行員とともに跡形もなくなったという。それ以上彼に話は聞けなかった。

作家の佐藤氏は仙台の書店で働いているという。震災後10年を経ての作品だが、文中のリアリティ、重量感のある言葉はやはり当事者のものだろう。半年ほど前だろうか、東京は品川駅で仙台行き特急「ひたち」がホームに入線しているのを見て胸が熱くなった。東北新幹線の仙台行きではない。常磐線を走り東京と仙台を結ぶ特急電車だった。それは地震による福島原発事故の影響で寸断されていた常磐線がようやく開通したことを意味していた。被災地を走る電車だった。復興したな。

人間には力がある。どんな災害でも時間をかけて「現在」を作り上げる。しかし心の傷は直ぐには癒えない。そんな瘢痕を雄勁な文章として表現した作者の感受性と筆力に引き込まれた。

東北大震災を描いた新刊本はこれで二作目だった。直木賞受賞の「少年と犬」(馳星周著)そして本作。震災は多くの悲しみを残し作家たちの感受性を刺激したのだろう。紙切れを挟んでいるページには気に入った表現が記されていた。少しでも言葉を「盗み」たいのだ。

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