アウドドアショップはいつも楽しい。最新の山道具が置いてある。登山を始めた30年以上前に比べて何もかも値上げしている。当時は当たり前だった登山道具店のオリジナルザックや靴などはなくなり、今はどの店も無個性化している。壊れでもしない限り登山道具を今更買うこともない。ガスカートリッジを買う程度だ。時間つぶしで入ったそんな店の一角に置いてあった。略してアルストと呼ばれているらしい、アルコールストーブだった
山屋の間でストーブとは料理用の簡易バーナーを意味する。30年前はガソリンストーブだった。強力な火力と燃焼音はテントや避難小屋での一人っきりの山の夜に心強かった。ジェルや固形燃料などでノズル周りをプレヒートさせると燃料タンクから気化したガソリンが出てきてポッと点火する。すぐに全開の炎になる。それは火をつける儀式だった。自分の相棒はオプティマス123Rと言う名の真鍮ボディのスウェーデン製コンパクトストーブだった。そのうちに風に対して非力だと言われていたガスカートリッジ式が進化した。直噴方式のバーナーが出て弱点は克服された。使い捨てカートリッジだが点火は容易で手間知らずだった。
楽さと引き換えに失うこともある。火を楽しむ行為だった。火を生み出し育てる楽しさが無くなった。しかし登山で疲れた身には軽くて簡単に火がつく事は魅力的だった。自分もいつかガスストーブばかりでオプティマスは書棚の飾りになってしまった。
アルコールストーブを知ったのはアウトドア雑誌だった。何故か分からないがここ数年にキャンプブームが到来してメスティンを初め知らない道具が増えてきた。登山道具店ではあまり見ないがアウト・ドアショップでは様々な道具を見る。機能と軽さの観点で装備を選ぶ人力旅行のトレッキング・登山には不向きと思えるものが多い。アルコールストーブはそんな印象だった。風の強い稜線で役に立つはずがないと馬鹿にしていた。
そんな店で見かけた1台のアルスト。VARGO Triad という商品だった。何とも可愛らしいカタチに魅了された。ただの缶詰の延長線と思える多くのアルストのデザインではなく、チタンの小ぶりなボディに折りたたみ式の三本の脚と五徳がついていた。畳むと直径6センチ強、厚さ2センチ強(脚・五徳除く)、重さはわずか32グラム。手のひらに乗るサイズだった。これで調理用の火器ならばなんとも夢がある。一晩考えて購入した。
そんなアルスト、早速火入れ式だった。気になる点があった。本燃焼までの所要時間、水500ccの沸騰までの時間。耐風性。燃焼時間、消化方法などだった。二回燃焼実験をした。カッコ内が二回目のデータ。
500㏄の水をチタンコッヘルに入れる。燃料用アルコールを目いっぱい入れる。点火後にすぐコッヘルを載せる。
‐ 点火から本燃焼まで:40秒(1分30秒)
‐ 点火から沸騰まで:9分(8分45秒)
‐ 燃焼時間:33分 (30分)
本燃焼とは弱々しくついた火が気化した燃料に移り周囲のノズルから炎が吹きだす状態。上にコッヘルを載せることである本体への熱のフィードバックがあるのだろう、本燃焼が早まる。何もしないと数分間本燃焼に至らない。
このアルストの最後はボッボッと何度か断末魔の炎が出て終わる。憎いほどにオプティマスと同じだった。しかし火力調整は出来ない。全力で燃え尽きるまでだった。
消火は容易だった。フッと強く吹くとあえなく消える。戸外では風よけを工夫してもどこまで実用的だろうか?室内限定と考えた。
ストーブによって歌が違う。ガソリンストーブはゴアーッと唸り吠える。ガスストーブはボーッと歌う。そして、アルストはシューッと静かにハミングする。火力と耐風力は燃焼音に比例し、道具の軽さは反比例する。火を扱う楽しさ、火器としての魅力ははガソリンとアルストに軍配が上がる。総合力では手軽さという点でガスストーブだろう。
結局登山や山の一夜に何を求めるかによって答えは変わってくるだろう。アルストはスローな道具だった。アルファ米や、レトルトを温める、ラーメンを作る、テルモスに入れるコーヒーを作る。それならば十分役に立つ。酸欠とテントへの引火に気をつければ幕営にも、避難小屋の中ならば問題なく使える。但し調理時間はかかる。
軽いので避難小屋での山行に持っていこうかと考える。とりあえず部屋を暗くしてただ静かに燃える火を見るのも楽しい。シューッという控えめな歌声も嬉しい。
スローが似合う年代だと思う。歳をとっても良いことがあるとしたらそんな余裕だろう。