日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

武蔵野うどん

この一年で三軒の武蔵野うどんに出会えた。一軒は数年前に食べた店の再訪問だが、小平(行ったのは支店)、武蔵村山、埼玉県小川町。いずれも関東ローム層のエリアであることには違いない。店により差異はあれど似たフォーマットだった。

ネットで調べると「赤土の関東ローム層の上には黒土の腐植土が覆っているが大きな川もなく米作には適さず、江戸時代からこの台地は大麦小麦農地として発展しうどんは郷土料理となった」‥そう謂れが書かれている。

本当だろうか。該当する台地とは秩父鉄道の南、八高線の東、高崎線の西、京王線の北側と考えていいだろう。これで不当辺四角形だ。その中を二万五千分の一地形図でじっくり見分してみた。今でこそPCモニターなので見ない光景だがシャウカステンでレントゲンフィルムを読影する医師のように、じっくりみる。地形図を相手にこの手の作業は、全く時の流れを失うほどに楽しい。

不当辺四角形の北部を探る。確かに大きな川はない。東は荒川がJR高崎線にほぼほぼ並行する。西の八高線は奥武蔵丘陵の山すそを南北に走るため、枝流を渡りこそすれど、それに沿う大きな川はない。北に目を向ければ秩父鉄道沿いに、再び荒川につきあたる。奥秩父甲武信岳雲取山の斜面を源とする荒川は熊谷駅あたりを境にその川の向きを大きく変えるているのだ。上流から見て東に流れていた荒川は、熊谷を境に南東に向きを変え高崎線に沿う。そして東京湾へそそぐ。その右手一帯が話題のエリアになる。そこには小さなせせらぎは見当たる。幾つかまとまって入間川になり荒川に合流する。その程度で台地の広さの割には確かに川が少ないようだ。

残った南はどうだろう。不当辺四角形の南部を探る。まず目を引くのが貯水池である狭山湖(山口貯水池)と多摩湖(村山貯水池)だった。大した丘陵地でもないところに大きな水瓶を二つ作ると言うあたりに武蔵野の水事情が見て取れる。もっともそれは東京都全体の話でもあったようだ。等高線を追うだけならあれだけの水がどこから来たのかその水源は分からぬが、地形図を微細に見ればいずれも羽村市あたりの多摩川から水道道が引かれていることに気づく。その多摩川はくだんの不当辺四角形の南部をかすめて一気に南へ向きを変えて東京湾に注いでいる。玉川上水を除いてはこのエリアには大きな流れが無いことに気づいた。

荒川はあれど台地を流れるその支流は頼りない。多摩川はあれど台地の南側を流れるだけ。途中で流れを「取り出す」事で多摩湖狭山湖玉川上水が出来ている。水はけの悪い土地に少ない水流。今ほどに農業技術が確立していなかった当時を考えるとなるほど、確かに米ではなく小麦が中心であるという推察も成り立つ。

故郷香川も同じことが言えそうだ。讃岐平野は水が少なくため池が多い、そう地理で習う。そこで生まれた自分はそれを体感する。なにせ川と言えば丸亀を流れる土器川しか知らなかった。その土器川関東平野に持ってくれば鶴見川の支流程度の川だ。香川も米ではなく麦文化だったのか。ただ何処かで読んだことがある。香川のうどんも今は外国の小麦を使っていると。

いずれにせよ地形の産んだ小麦文化が比類なきうどん文化に昇華したのだから素晴らしい話だ。

さて比較的短時間に三軒味わった武蔵野うどん。どれが一番うまい?などという質問は野暮だろう。それにラーメンに対してでもそうだが、自分は料理はもとよりそれを作るオヤジさんオカアさん、スタッフ。そんな人間に興味がある。厨房の中に阿吽の呼吸と流れるような職人技があるならば、そこに痺れる。残念ながらこの三軒とも、うどんは超絶品だがそれは盆に乗って厨房の暖簾奥からやって来たのだから。尤もお店にしてみれば顔と所作をじろじろ見られるのも嫌な事だろう。味とは直接は関係ない世界だ。噛み応えがある麺、深い味わいの肉汁があれば十分ではないか。

豚バラ肉の肉汁、加えて深谷下仁田か。埼玉のネギは流石に美味しい。噛み応えのある麺にも唸る。武州めん@小川町

武蔵村山はかてうどん。かてとは茹で野菜。チャーシューのような肉と揚げナスの肉つけ汁ともよい組みわせだ。麺は赤茶色。小麦の違いなのだろうか (満月うどん@武蔵村山

こちらはコマ切れっぽい豚肉が美味しい。赤茶色した麺は武蔵村山に近い。小平うどん@聖蹟桜ヶ丘

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