日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

墨田の川で罪滅ぼし

ずっと申し訳ないと思うことがあった。それはもう五十年近く心に残っている。贖罪すべきだった。時折それは、自分の行動意欲の邪魔になってきた。

悪戯だった。悪戯と言うよりも集団いじめというべきかもしれない。中学一年生。体に第二次性徴が起きる頃。体育の授業での着替え。誰かが着替え中のクラスメイトのズボンと下着を一気に脱がしてしまい成長の早い証を皆で見て、笑うのだった。その輪の中に僕もいた。笑いにはなにがあったのか。成長への畏怖か。憧れか。抵抗もせずに恥じる姿への畏敬だったのか。

高校生の頃。体操部所属の秀才が居た。大人しい美男子だった。何がきっかけだったのか、自分を含む何人かで、彼を「わざと無視しよう」という話が持ち上がった。自分達の態度に彼は寂しそうな顔をした。それから数か月後に、彼は死んだ。友人と共に川遊びをしていて、二人して溺死したのだった。ジーンズで入水し、重くなった生地で足がとられたのだ。体操部エースの死はショックだった。自分達のいたずらで傷心しそれが彼を川に向かわせたのでは、今も思う。

青少年期とは残酷でもある。青年期の残酷さは自己の成長過程でねたみと自己愛との戦いであるとすれば、少年期のそれは、無邪気さの中に芽生える劣等感だったのかもしれない。

伝手で中学時代の仲間と実に40年振り以上に数人で会う事となった。その中に彼の名を見た時に、僕は行くのをためらった。しかし、これを逃すと彼に謝るチャンスはないだろう、ずっと謝りたかった。彼は当時から大の鉄道マニアで、彼の豊富な知識は当時自分の持っていた散らばっていた鉄道知識を体系づけてくれた。「鉄道学」への扉を開けてくれた、その意味で彼は恩人だった。中学校一年生の「事件」の後も、在校中そんな交流が続いていたが、僕は何処かで引っ掛かりを感じていたのだろう。

飲み屋で会うと、当時の面影の彼が居た。僕は彼に開口一番謝った。あの時はごめんね。と。

すると彼は言うのだった。「そんなことあったか?覚えてないよ。それをずっと気にしていたのか?ありがとう」。彼は笑いながら続けた。「君からは大切なことを教えてもらったよ。ワシにセンズリを教えてくれたからな。それからワシは夢心地だったよ、だから恩人だよ」と。楽しい酒席の後、彼と抱き合ってからまた会おうな、と別れた。

センズリとは今の若い男子は使っている言葉なのだろうか。暇さえあればセンズリをしていた時代は誰にもあるだろう。十代の話題は一日何回やったか、どのくらい飛んだか、最後は煙しか出なかった、といった自慢話だった。千回こすれば快楽あり。それは自慰行為をずいぶんと即物的に表現していると思う。江戸時代にこんな川柳があったそうだ。

「千摺りは隅田の川の渡し銛 竿を握いて川をアチコチ」 

隅田川を行き来する川船の動きを手の動きに見立てている。川と皮をかけているのも秀逸だった。随分と風流な見立てだった。

あの件を彼が本当に忘れていたのか、どこかに残っているのかは彼しか分からない。しかし笑顔で「自慰行為を教えてくれてありがとう」と言われるとは思ってもいなかった。彼は彼でそれを言いたかったのだろう。すると僕はセンズリを教えたことで意図せずに贖罪をしていたのか。罪滅ぼしは手の動きだったのか。彼はその手さばきで培ったのか今では鉄道模型を自作する世界では本を出版しているほどの有名人だった。

渡し舟で彼への贖罪は済んだかもしれないが溺死した友には何も謝っていない。これでいいのかと今でも思う。今の僕にできる事は隅田川の川辺に立ち、遥か西の川で溺死した体操部のエースに謝る事だろう。つくずく、罪深い我が身を許してくれと。

 

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