長く感じた冬もようやく去り、三寒四温も二寒五温くらいに思えるようになった。川の土手にでも座ってお昼のパンを食べるか、と妻に水を向けるとすぐに賛成だった。病院からの帰り道、昼食を作るのも面倒くさくパンで済まそうとスーパーのベーカリーで買ったものだった。陽光はすでに優しく菜の花は揺れそのまま草の上に伸びて昼寝でもしたくなりそうだった。
川面のさざ波は下流から上流へ流れていた。満潮と知った。ポチャンと音がして水面に波が丸く立った。反対側の川岸に釣り人が居たのだ。彼は竿を再び振って椅子に座り直していた。長期戦と決めたようだ。
この川のもう少し上流の宅地に昔訪れたことがあると思い出した。あの時は喪服を着ていた。
当時の自分の上司である課長の奥様のお通夜だったか告別式だったか。課長の奥様はガンに罹患し、まだ二人の息子さんとともに代わり番で病院に詰められていた。下の息子さんはまだ小学生だったと記憶する。課長は釣りが趣味でよくノートの隙間にお魚の絵を描いていた。休日には手近なこの川まで来ては竿を垂らしている、そんな話を良くしていた。
自分の香港出張が決まった時、課長に頼まれたのだった。
漢方薬を買ってきてほしい。コレとアレ。お金と紙を渡された。家内のガンに少しでも効果があると思う、と。
旅行鞄にできる限りそれを詰めて帰国した。課長の奥様の訃報に触れたのはそれから数カ月後だったと思う。川から少し登った宅地にお邪魔した。目を腫らした課長と二人の息子さんを覚えている。
課長はその後ずっと元気なく、やがて自分も配属が変わり勤務地が変わった。一度だけ、それから10年近く経って新幹線の中でばったり会ったことがある。家族で大阪まで遊びに行った帰り道だった。京都駅から乗ってきたのだった。もうご退職されていたかもしれない。白髪の増えた彼はしかし嬉しそうだった。息子の結婚式で京都に来た。そう話されていた。息子さんは優秀で、京都の国立大学に進学されたとは風の噂で聞いたことがあった。嬉しそうだった彼は隣りにいた次男とおもしき青年と少し話してから白いネクタイを緩めて、眠られていた。
あれから、課長には会っていない。いまお元気なのかとも思う。几帳面な方で仕事の進め方をときに厳しく教わった。お元気ならばまだ70歳代の半ばくらいかもしれない。お二人の息子さんも手を離れ、ゆっくり釣りを楽しめるだろう。・・ハゼとかボラくらいしか釣れないよ。釣ったら逃がすだけだよ。そう言われていた。
ふと向かいの釣り人が課長ご本人でをはないかと思った。彼の釣果はいかに。また釣っては放しているのだろうか。しかし対岸に渡る橋は遠く、僕はそれを諦めた。こんな話を思い出し想像したのも春の陽気の気まぐれな悪戯かもしれない。妻の背を押して、車に戻った。