日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

ストローの空袋

ストローの空袋がある。それを指に絡めたり折ったり丸めたり。一体どんな時だろう。例えば片思いの女性と二人でお茶をしている。彼は眼の前の素敵な女性に好意を伝えたい。しかし彼女はつまらなさそうな顔をしている。何とか場をもたせたい。失望させたくない、そんな時、彼はストローの袋を手に取るだろう。別に彼は指先の細かさをアピールしたいわけではない。アイスコーヒーはとうに空になっている。話の端緒を懸命に探している。出てこない。もどかしさから逃げたいのだ。

先日隣町のレストランで娘夫婦に加え、旦那様のお母様も見えての食事会があった。新幹線で一時間半ほど西の都市に住まわれるお母様とお会いしたのは、娘夫婦の結婚式以来だった。数年間の失礼を詫びて食事は和やかに進んだ。娘の旦那とはゴルフを共に回ったり、家に遊びに来たりと接してきた。彼は優しく明るく快活な青年だった。しかしなぜか母親を交えての食事会だと寡黙な青年だった。指先で遊んだりストロー袋を丸めたりするのだった。

彼の気持は良く解った。自分もそうだからだ。場が持たないのだ。母親と息子。簡単な距離感でないと思うのは自分だけだろうか。息子を持つ多くの若いお母さんは言うらしい。息子を嫁に取られるなんて許せないと。息子とは母親にとってそれほど特別なのだろうか。今更病気がちだった自分の幼い時代の話などを何故我が母は言うのだろう。背負って医者に連れて行ったと。親ならばあまり前ではないか。それをどうして妻の前で言うのだろう。僕は余りに母と過ごすのが苦痛で、可能な限り時間を減らしそっけなく過ごしていた。

・・母の愛は無償。それはわかる。が、時に重い。旦那様も何らかの形で、お母様の想いが重たいのだろう。ちゃんと不快だと伝えればよいのにそれも言えない。自分もそうなのだから。

会合のあと娘夫妻とお母様は近所の古刹を見に行った。その日の夕方の新幹線でお母様は西の街へ帰られるという。旦那様は少しホッとすることだろう。

自分には息子は居ない。では娘たちは僕の事を重たいと思っているのだろうか?そうなるまいと、自分は下らなくて取るに足らない存在だと娘たちに示して来たのだった。卑猥な話や下品なしぐさなどで出来る限り僕という人間の愚かさ、それに加え男とは実にくだらない単純な生き物であるかを、我が身で娘たちにデモンストレーションしてきたはずだった。父と娘と言う間の垣根を下げたかった。奏功してか目下のところ娘たちが自分を苦手に感じている気配は示さない。母親と息子とは違う空気なのか、自分の振る舞いがよかったおかげなのかもわからない。

これからも娘達にとっていつでも遊びに来てもらいリラックスできる、そんな気楽な存在であり続けたい。僕は何時も自然体でいればよいのだろう。ストローの空袋があるのならさっさと丸めて捨ててもらいたい。

 

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