日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

お母さんの店

焦げ茶色のやたらによく震える電車を降りると駅前から砂利道だった。ダンプカーの上げる砂埃を払いながら歩くと道沿いにぽつんと小さな建物があった。店舗と民家が同じ建物なのだろうか、そこからは昼ご飯の匂いが漂っていた。ガラガラとガラス扉を開けると明るい声をあげるお母さんと幼稚園生と思える男の子が居た。僕は一片の紙切れを取り出した。

紙切れを見ながらお母さんは鼻歌を歌うように店から小さな部品を取り出してはプラスチックの皿に載せていく。どれもが床に落としたら見つけられなくなるような手のひらの部品だった。抵抗、コンデンサトランジスタ、ラグ板、トランス等だった。

サンスイのトランスST32は品切れだからこれでいいかな?」と言いながら手のひらに乗る塊を小皿に乗せてくれた。良いも悪いも自分にはわからない。このお母さんを信じるのみだった。

自分は確か小学校五年生。この店には幾度も通った。自宅から自転車に乗りとある鉄道駅にでて、二駅だった。電車は汚れた川に沿ってひどく長閑な風景をゴトゴト動いた。いつもと違った街の匂いがして帰り道など早く家に帰りたいと妙に不安になるのだった。買ったものは茶色い紙袋に入っている。それをカバンに入れて無くさぬように帰った。

今で言うなら電子パーツだろう。そのころ自分は人並みの男子で、科学の不思議に興味があった。模型とラジオ、初歩のラジオ。略してモラとショラ。そんな雑誌にはそれらの紹介や作り方が載っていた。泉弘志さんという方がたくさんの記事を紹介していた。それはまさに自分には夢の本だった。ゲルマラジオや風呂桶満水ブザー。ワイヤレスマイクなどだろう。パーツ、配線図、部品入手の店、すべて書かれていた。パーツ屋通いはそのためだった。

成長しその地を離れると電子工作からも離れた。興味は女子と音楽それに鉄道だった。しかし社会人になり育った町に戻り其の店が未だあるのを見て驚いた。その頃アマチュア無線関連で自作品を作り始めていたので色々部品が必要だった。ひと目でわかるあのお母さんがいらした。昔と変わらずに元気な声だった。あの息子さんは店には居なかった。

商売は順調なようでいつしかその街の南と北にそれぞれ支店を構えていると知った。家からは南にある店が近かった。行ってみると見覚えのある男性がいた。間違えなくあの時の息子さんだった。母親同様に紙に書いたパーツをもれなく皿の上に乗せてくれる。品切れは代替品を出してくれた。

自分のように多くの趣味に頭を突っ込むと一つの趣味に対しての熱意には山と谷があった。今が何度目かの山だった。懐かしい店の扉を開けた。そこは、三十年前と変わらない風景だった。昭和が置き去りにされているように見えた。出てきた男性は間違えなくあの、元幼稚園生だった。

探していたパーツはすぐに見つかった。最近作った真空管オーディオアンプのボリュームツマミを、少し見栄えの良いものにしようと思っていたのだった。アルミの削り出し品が欲しかったがそれはなかった。しかしプラスチックに金属トップがついた可愛らしいツマミが在った。昔のラジオのチューニングダイアルに似ていた。ついでにFMラジオのキットを作りたかったので聞いてみた。もう部品の一つが手に入らずにキットが出来ないと残念そうに言われていた。

あとは世間話だった。懐かしい元気なお母さんの話をしたら懐かしそうな顔をされた。もう二昔前には逝去されたとのことだった。とても活発なお母様でしたね、小学生の僕にもわかりました。と言うと元気だけが取り柄だったのです。と言われた。

電子工作なども今どれほどの人が興味を持つのだろう。わざわざ来店してパーツを探すのは禿げて白髪の自分のような元ラジオ少年だけで、あとは通販主体との事だった。

両親の作り上げた店を彼はしっかりと守られていた。いくつもの支店も家族で経営を続けているとのことだった。単価数十円から数百円の部品が主体、自分も今度は通販を使うだろう。今も頭に残るあのお母さんの明るい声と顔が思い出される。あの小学生が禿げ頭になった今もハンダごてを握って、息子さんの店に来ていると知ったらお母さんはきっと驚かれる事だろう。

新調したツマミはアンプに良く似合った。かちりと回すと電源が入る。触るたびに僕にはあのお母さんの弾んだ声が聞こえるのだった。

酸化金属皮膜抵抗、カーボン抵抗、そして何に使ったのかセメント抵抗。コンデンサは102,103そして電解コンデンサトランジスタは2SCを中心に、三端子レギュレータも各種。まるで小さな「お母さんの店」のようになってしまった。いつでも何か作れるようにと集めた結果だった。これらを使い直流12ボルトを9ボルトに落とすことなど訳なくできるが、もうそんな事をしなくなった。しかしまたやるだろう。その時の不足品は「お母さんの店」の通販としよう。

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