日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

レジェンドとアルチザン

御年90歳近いご主人に会うのは二度目だったが相変わらずのお話し好きで自分達の自転車を見ては楽しそうだった。いつものようにまずは店内に自転車を入れて、と言われた。古いブレーキ用のワイヤーを買おうと思っていたので、それでは、とお店に入れた。彼はいかにも楽しそうだった。

- おおランドナー。やはりトーエイは良いフレームだね、ラグレスか。仕上げが良い。サンプレではないね。でもまとまりがいいね。
- こちらはトマジーニか。さすがにイタリアパーツでまとめているね。綺麗に作ってある。これはテツレコか。鉄製のレコードだね。

この店に来るのにはフランス部品、そして国産でも古いパーツを使っていないと何故か緊張するのだった。ランドナーはエルスやサンジェと言ったフランスの工房が作った小旅行車がベースになっている。パリ郊外のラヴァロアにあるアレックス・サンジェには何度か行ったことがある。当時住んでいた自宅からは自転車で30分程度だった。トゥ・クロメも含む高嶺の花がずらりと並び怖くてとても中には入れなかった。店の奥にこだわりのありそうなアルチザンの姿を見るだけで満足だった。ポルト・ド・ヴェルサイユにある展示場での年一回の自転車展示会にも足を運んだ。サンジェのブースには美しいマルーンカラーのフレームに電動変速のデュラエースが組み込まれていた一台があり驚いたが、伝統を守り新しいものを作ると言うことか、と妙に納得した。

今のランドナーを作った時は「フランス色を残したうえで現代の国産パーツで組む」をコンセプトとした。近所の馴染みの店で相談しながらフレームオーダーシートにサイズや特注部分を記入した。パーツは好みを自分で集めた。自分も最初はデュラエースRD7400を着けていたのだ。がワイドギアレシオでは今一つの変速性能だったのでショートゲージでも少しだけ長いパンタグラフの現代パーツに変えていた。そんな事でご主人にジロジロ見られるのも少し恥ずかしかった。

彼は「お、新しいパーツだね。性能が良いからいいね」と言われた。この世界では余りに有名なヴィンテージパーツを売る店なのにご主人は固執せずに多様性を認められる。それが今もお元気な理由だろうか。

買い求めようと思っていたパーツはセンタープルブレーキを引っ張る十センチ程度のタイコワイヤーだった。ごそごそと宝の魔窟のような店内から箱を引っ張り出してきた。タイコワイヤーにもまた長さがいろいろあるのだった。このブレーキはもう廃盤だからケーブルもあるだけだよ、よかったね。二本買うのがいいね。と言われる。

品物が決まると後はお話だった。勧められて椅子に座った。様々なお話を頂いた。教師と生徒のようだと思った。お母さんが入れてくれたコーヒーは美味しかった。彼女は全く話が長いのよ、と言うがご主人が達者であることが嬉しそうだった。友人と共に薄暗い店内の椅子に座ってご主人の話を伺った。それは止みそうになくカップはとうに冷めてしまった。彼は自転車店を引き継いだ二代目と言われたが世田谷のど真ん中にあるこの魔窟のような店は今後どうなるのだろうか。彼が一番好きなのは「人と話す事」なのだと思う。いやそれは手段でありその奥には好奇心があるだろう。それがあればまだまだお元気のはずだ。

面白い話で、この店の向かい側も又老舗のスポーツサイクル店だった。確かな腕と温厚な顔立ちのオヤジさんも又この世界では有名な方だった。こちらは初めてだった。ご挨拶だけ、と硝子戸をあけた。ご主人の指先が油汚れで真っ黒だったのが嬉しかった。この両店は向かい合わせでランドナーなどのサイクリング車を扱っている。成り立つのか不思議だったが先の店でランドナーの注文が決まると組み上げるのはこの店だった。またこの店のご主人はある意味向かいの店のお弟子さんに近い存在だと知った。話し相手になっていただいたお礼を述べて世田谷を後にした。

二つの老舗にはレジェンドとアルチザンがいらした。多様性を受け入れコミュニケーションをする。長生きのコツを教えていただいた。それらに加えて自分が出来る事は唯一つ、健康に乗り続ける事だろう。

世田谷のとある一角。そこには二店の老舗がある。サイクリストにはお馴染みの店だ。そこで何かを得た。多様性を受け入れ好奇心を維持する事だろうか。

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