音楽が好きならば多少はオーディオに金をかけるだろう。最近では昔ながらのレコード盤が人気と言う事で新譜をレコードで出すアーティストも出てきている。かさばる、扱うのが面倒だ、そんな理由でCDが世に出た1980年代半ばから自分はレコードを手放しCDに買い替えてきた。その十年後にはウィンドウズが世の中に普及し音楽はデジタルデータとしてPCに取り込めるようになった。すると今度は手元に置いておきたいCD以外はPCに取り込んだらそれを手放した。今思うと慌てずに手放さなくとも残しておいても良かったと思う版も多かった。しかし全ての棚がCDで埋まってしまったのでそれも仕方なかった。今はサブスクの時代で必要な時にネットで聞ける。世は変わりゆく。
PCは一日中付けている最も大切な家電だろう。いつでも世界につながり知見を広め同時に自己表現の場でもある。自分の活動記録や音楽も全てそこにある。創作もそこで行う。部屋にいるときはPCの前にずっといる。すると改めてステレオセットに向かい合い落ち着いて音楽を聴くという事も無くなってしまう。PCの音源をそこそこ良い音で手軽に再生してくれること、それが求められるオーディオの姿になった。新入社員の初ボーナスを手に秋葉原に出かけアンプやスピーカーを幾つも視聴して気に入ったセットを組んだ男も今はそうなってしまった。実態のないデジタルデータでも良しとするのは、多分自分はとても合理的で夢のない男なのかもしれない。
昔から何故か電子工作が好きだった。しかも凝り性だった。ハンダごてを握ったのは小学生だった。社会人になりアマチュア無線家となり無線機や周辺機器を作ってきた。キットも作ったが本を参考に基盤をエッチングしたり、と呆れるほどに凝った。PCで聞く音楽も出来れば自分の手作りにしたいという気持ちが生まれてくる。上手い具合に手軽なステレオのアンプのキットがあるのだった。スピーカーも手作りキットがある。それらを作ったのは十年前だっただろうか。専用のICを使った半導体のアンプは手のひらに乗る。これは多層構造の基盤にチップ部品が半田付けされていた。自分がやったのは抵抗とコンデンサ類、コネクタなどの半田付けだった。少ない工作ではあったが木箱にスピーカーを嵌めてねじ止めした自作スピーカーキットから音が出た時は嬉しかった。この組み合わせで満足だった。
早期退職をして時間の余裕が出来た。それは心の余裕にもつながった。真空管でオーディオアンプを作ろうと思ったのはそんなこともあるのだろう。また友人がバラの部品とラグ板で真空管アンプを作りその豊かな音に魅了されたこともあった。音楽を楽しむのなら真空管だ。自分はまずはキットでやろうと考えて手近なものを見つけた。
全ての部品を自分で積層基盤に半田付けしていく必要があった。一体何カ所半田付けしただろう。一日に時間で四、五日は熱中した事だけは確かだった。
自作品の電源を初めて入れる時はいつも心配する。まず煙が出ないだろうかと。しかし全てが上手く行った。スマホに入れた音源を再生した。音量つまみを右に回していくとフリードリッヒ・グルダの弾くバッハの平均律下巻第24曲が聞えてきた。とても豊かな音だった。そしてオーケストラ、声楽と聞き進めた。試運転のつもりが本格的になった。ジャンルを変更してビートの利いたブラックミュージック、そしてロックと進んだ。リズムがとても生々しい。思わず聞いていて踊ってしまった。
手作りの真空管アンプは大成功だった。使ってきた自作のトランジスタアンプよりも出力が大きい。初めて我が家に白黒テレビが来た時にその中には真空管があったと記憶する。アマチュア無線を始めた時はすでに無線機はトランジスタの時代になっており、自分にとって真空管はノスタルジアだった。真空管とは不思議なもの。人差し指を少しだけ太くした真空のガラス管の中を陰極と陽極の間で電子が飛び信号が増幅されるのだった。電極は赤く焼け発熱する。ガラス管に触ると火傷するだろう。二つの球を前に目を皿のようにして飛んでいるだろう電子を見ようとしたが見ることなどできないのだった。しかしその代わりに聞き馴れた音楽に奥行きが加わった。これが真空管の味なのだろう。スイッチを入れると真空管に火が入る。音が出るまで少し時間がかかる。眠りから目が覚めてパジャマを脱いで顔を洗う。暖かいコーヒなどを飲むとようやく体が動く。何だ同じではないか。なんとも人間的だ。このアンプ専用のスピーカーを買おうと思う。もうワンサイズ大きくして腰のあるサウンドを聞いてみたい。
手作りの音はとても満足のいくものだった。ただ基盤に指示通り部品を嵌めて半田付けしただけだった。キットの設計が優秀なだけだろう。それでも言いようもない嬉しさがある。自分の手で作ったものが実用になるのだから子供の頃の感動があった。実際自分など禿げた初老の子供に過ぎないだろう。聞き馴れた音はまた違う一面を見せてくれるだろう。これからこの手作りアンプで音楽世界を旅していく。とても楽しみだ。