数か月前に造り上げた真空管アンプ。実は一度しか火を入れていない。卓上で聴く分にはこれも手作りのデジタルアンプと自分で組んだスピーカーユニットで満足のいく音が出ているからだった。1970年代までのブラックミュージックにロックは音が大きいほど心地よいが我が部屋では難しい。控えめな音量で充分だ。実際バンドの練習のためにそれらを小さな音で手短に流すことも多い。が、ピアノ、チェンバロ、オルガン、オーケストラ、合唱が無理ない音量で豊かに聞こえればまずは良いのだった。
良いオーディオとは何だろう。それは選びに選んだ高級なアンプやスピーカー、そして電柱から特別に供給する安定した良質な電気。それをアンプに伝える電源ケーブル。アンプの音を減衰なく伝えるスピーカーケーブル。遠慮なく音を楽しめる環境。そんなところだろうか。ハードウェアは投資額に比例した満足を与えてくれるのだがそのどれもが我が部屋には無い。
しかしハンダごてを握ることが好きならば知っている。仮にチープなセットでも、自分で造り上げたものがそこに加われば一味違う楽しさがあることを。時折接触不良を起こすデジタルアンプでも満足しているのは、自分が半田付けして作ったからだった。愛着と言うイコライザースイッチが働くのだ。
真空管と言うレトロな増幅管に特段の愛着があるわけではないがトランジスタよりも力強く腰がある音を出すことは知っている。スタジオやライブハウスでお世話になるベースアンプ。スピーカーユニットに大きなヘッドが載っていると嬉しくなる。真空管アンプだ。我がプレシジョンベースは聞いたことが無いような力強く甘くて太い音を出す。音が出るまでには数秒必要だ。トランジスタアンプは立ち上がりも早く優等生だが、どこかで冷たい音がする。それはオーディオシステムでも同じだろう。
300箇所以上の半田付けを経て造り上げたこの自作アンプに似合うスピーカーを探していた。これからも多分卓上で使う。安価で納得の行くものは無いか?出物の中古には行き当たらない。インピーダンスもピンとこない。アンプの組み立て説明書には4から8Ωのスピーカーを使うようにとあったが、出力トランスの出力側に6Ωの刻印がありそれにこだわった。製品選びは迷うときが楽しい。やはり新品にするか。憧れのJBLか、ハイセンスなYAMAHAか。かつて大枚をはたいて買ったONKYOか。いやDENONも好いだろう・・。
タイムセールで通販サイトに値動きがあった。第三候補だったが価格も大切なポイントだった。結局選んだのはデンオンだった。そう書くと時代感覚がばれる。今はデノンと呼ぶようだ。迷ったうえで選んだ木目調キャビネットのツーウェイスピーカーからは二回目の火入れによる音が流れている。
音源はスマホにいれたMP3だ。バッハの平均律の中から好きな曲を好きな演奏家で放り込んだフォルダだった。そこから無作為に再生してくれている。響き渡る豊かな残響はスヴャトスラフ・リヒテル。ここぞというときにペダルを効かせてリスナーを異次元に即座に運んでしまうのはタチアナ・ニコラーエワ。残響を排したタッチで時に斬るように、時に一音一音を慈しむように音を紡ぐフリードリヒ・グルダ。竹を割ったようにさらりと流す知的な解釈で新時代を作ったグレン・グールド。デビュー当時はグールド再来と言われたが彼は彼で独自の深みを出し高みに居るアンドラーシュ・シフ。どれもが豊かに響いた。
少し開けていた窓を閉めたのはにわかに強くなった冬の雨のせいだった。つい先週までならこの時間の雨は雪になっていたはずだったがその力はもう無いように思えた。手作りの音が雨音に溶け込む。するとそれは新しい音楽になる。音は波になりそれは一枚の布に変わり自分を包み込む。自分は音楽の一部になる。
迷ったうえで選んだスピーカーは良かった。真空管はエージングを経て音に円熟味が加わると言うが、もう充分だった。これ以上艶やかな音が、必要だろうか。