小田急線のとある駅にて。一日の登山を予定通り終えて、綿の様に疲れ果てて駅のベンチに座っていた。改札の前には小田急系列のスーパーマーケットがあり、そこで500㏄ロング缶のみを仕入れて、ごくりと三口。陶然としていた。今日の山は絞られた。自分の限界を確認しようとして臨んだ山だったが、嫌になるほど限界が分かった。正直これ以上動きたくもなかった。明日から数日間の「筋肉痛」も見えていた。
ともあれ狙った行程はなんとかこなして、下山してきた。あとは電車に揺られるだけだ。しかし、忘れてはいけない「締め」が残っていた。それがロング缶だった。これだけのために辛い下山路に耐えられたといっても良かった。おつまみなど不要で、ただ飲み干せればよい。
改札前のベンチに座り、呆けたようにビールを飲んでいたら、傍らに落し物(忘れ物)があるのに気づいた。それは女性用の「登山用の帽子」だった。きちんと顎紐もつけて、小さなリボンまでも巻いてあり、所有者の愛情が感じられた。
「ああ、これを失くしたら、寂しい、いや、がっかりだよな。」
周りを見渡したが、先ほどまで隣に座っていたのはゴム草履をはいた地元在住の中国人カップルだけだった。彼らもいなくなり、ぽつんと登山帽子だけが残っていた。
似たようなことがあった。岩手の八幡平で、下山してから用を足した観光センターのトイレに、自分も同じく登山帽子を忘れた。それに気づいて観光センターに電話したのは翌日だった。職員さんは憶えていてくれて、それを、管轄の市役所に渡したという事だった。そして市役所に連絡をして、無事に消息を確認した。それから一週間もしないうちに、登山帽は自宅に戻ってきた。お礼の葉書を役場に送った。以来、岩手は自分にとって大切な場所となった。そしてその帽子も大切に、ツバの裏に住所氏名連絡先をペンで書いた。これでもう迷子にはなるまいと。
限りなく奇跡に近い出来頃だったが、そんなことが、この帽子のオーナーさんに起これば、という想いがあり、直ぐに帰りの電車に乗るのが躊躇われた。結局帽子を持って、一番安全であると思える、駅員さんに預けた。
「ちょっと待ってください」
と駅員さんは言われた。氏名でも聴かれるのかと思ったら、小さな名刺をくれた。それは名刺ではなく「ありがとう」と書かれた名刺サイズのカードだった。
「お客様のご厚意に感謝します。このカードはお忘れ物をお届けいただけたましたこと、ご協力いただけましたことへの、感謝の気持ちをお伝えするものです。小田急」
と書かれていた。
いかにもオーナーに大切にされていたであろうあの登山帽。オーナーはたぶん自分と同じ年齢位の女性だろうか。丁寧にリボン迄巻いていたのだから、お気に入りだったのだるう。僅かの別離の後に、またオーナーと帽子は再会していることを信じて疑わなかった。
善意が機能している社会は素晴らしい。登山では絞られてよろよろになったが、酔いも手伝ってか少しだけ良い気分になり、揺れる車内の人となった。
PS:善意の社会については、以前も記事あり。https://shirane3193.hatenablog.com/entry/2022/06/26/231848