日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

老舗の看板

老舗は世に沢山ある。江戸の下町辺りに行けば、ウナギ屋、蕎麦屋、ドジョウ鍋屋、天婦羅屋、寿司屋、お煎餅屋、団子屋…。それぞれを探訪しつつそぞろ歩けば数日は必要だろうし、財布も軽くなるだろう。

さてそんな老舗がずっと大切にしている物は何だろう。味は当然の話だが、外見の話だ。創業当時の秘伝のたれ? のれん? 幸いに空襲で焼けていないのならそうだろう。あとは「看板」だろうか。古びたお店の看板を今でも大切に掲げている店があれば、その時点で味の良さは保証されたもののように思える。

自分も参加させて頂いている山岳会、あるいはアマチュア無線の移動運用の会も、その世界では「老舗」と言えるだろう。一体その世界とは何なのか、アマチュア無線に興味がない人はピンとこないと思う。周波数帯にもよるがアマチュア無線は一般に標高の高い所で運用すると電波の飛びも良くなる。アンテナが高い所にあるのと同じ理屈だ。またアマチュア無線は中継局を必要としないので谷筋を除くと基本不感地帯はない。携帯の電波が届かなくとも、交信ができる。アマチュア無線家人口は意外に多く、多くの場合で応答が期待できる。非常通信で下界と交信できる可能背が携帯電話よりはるかに高いのだ。その意味で山登りとアマチュア無線は趣味としての融合度が高い。アマチュア無線が好きだから山に登る人も入れば、山登りをしていて非常通信手段として始めたアマチュア無線で、その楽しさに気づく人もいる。「登山をする無線家」か、「無線をする登山家」か。

そんな仲間がいつか集まり、同好会の様なものが出来た。もう35年以上も前の話だろう。やがて自分もそれに参加させて頂いた。同好会の主な活動はメンバーの投稿で成立する「同人誌」の発行。皆さん自分自身の山行記録や山でのアマチュア無線運用の記録をしたため、それが会報として本になっていた。会報初号が1986年、2022年時点での最新版は59号。36年間の間で59冊発行したことになる。編集長は4人関わり自分は42号から57号まで15年間の間、三代目の編集長として15冊の会報をまとめた。病でこれ以上は続けれないとして、篤志の方にその座を担って頂いたのは昨年の話だ。

そんな会の集いは、日本アマチュア無線連盟による年一回の展示会に集約される。展示会ではアマチュア無線機器メーカに加えこの手の同好会のブースが沢山出展される。全ての展示会の歴史は知らないが、グループとして少なくとも20年いや25年は出展し、登山と無線運用の楽しさを、新しい遊び方のアピールをしていた。その意味で「老舗」と書いた。そんな展示会でのブースに掲げる木製の「看板」があった。これは、二代目編集長の頃に展示会のブース運営をされていた方の、力作だった。

厚さ20ミリ程度の合板に、見事な筆跡で書かれている。「山岳移動通信・山と無線」と。それはまさに会報である同人誌のタイトルそのものだった。作成者は器用な方でなんでも高い完成度でDIYしてしまう人だった。デカくて重いけど、完成度の高い看板、だった。

毎年この看板を保管する人も大変だった。何よりも立派で重い。住んでいる地から都内国際展示場に運ぶのも一苦労だった。また、展示場のレイアウト様式も変わり、今年からはあまり重いものを壁に掛けることが出来なくなった。

そんなことで、来年に向けて看板を小さくすることにした。色々な意見があった。看板をコピーしてもっと小さくて軽い板に貼る。板ではなくて発泡スチロールに貼る、看板を小さく薄くする。いずれにせよ小型軽量化に向けての検討だった。

最も気になったのは、製作者さんの意向だった。入魂の一作だ。幸いに事情を説明すると、看板を細工してもいいよ、という快諾を得た。

こうして「老舗の看板」は、リフレッシュされることになった。通常木材カットは素材を購入した店でないとやってくれない。パネルをうまく水平や直角を出してカットするのは至難の業だ。パネルソーという大掛かりな切断装置が必要となる。なんとか持ち込み素材をカットさせてくれ工房を見つけて、これから看板を管理していただける方と共に持ち込んだ。

木工加工室は、中学高校の技術家庭の教室以降だろうか。ボール盤、グラインダー、ジグソー…。名前もわからぬ沢山の器具に満ち溢れた部屋に足を踏み入れたら、胸が躍った。部屋を満たすおがくずの匂いも懐かしい。「大好き」だったのだ、この手の工作が。

パネルソーはあっという間に看板を小さくカットしてくれた。4回歯を入れただけでサイズ・容積ともに約半分となった。

「老舗の看板」も守れた。看板製作者さんも喜んでくれた。自分達も久々の木工加工室に胸が躍った。二人で指差喚呼しつつ巨大な鋸のオペレーションボタンを押すのも楽しかった。あとはこれを家に持ち帰り、クリアラッカーを上から吹くだけだ。

まとめてしまえば「持ち込んだ板材を工房でカットした」だけになってしまう。しかしそこに至るまで、看板をどうすればよいのか、製作者さんの意向も確認必要だ、どこで持ちこみ材の加工が出来るのか、には仲間内では長い時間をかけた。結局、携わったメンバーは、皆この看板が好きなのだ、と知った。

看板が好きなのか、その集いが好きなのか。たぶん同義だろう。これでだれもが看板を喜んで保管してくれて、年に一度の出番を待つことだろう。10年以上自分の手元に居た看板も、離れてしまうと思うと少し寂しい。

また来年の夏だ、身軽になった看板が「老舗」の同好会のブースを飾るのは。再会を楽しみにしておこう。

追記:今回の工作でお世話になった工房(中原工房@川崎市中原区)。持ち込み材料は一般にホームセンターでは加工できない。その意味でとても貴重な存在ではないか。
https://nakahara-koubou.com/

パネルソーは巨大な鋸。板をしっかり押さえつけ、歯は人には触れない。比較的安全な工作機械と言えそうだ。

製作者の入魂の一作。大きくて重く持ち運びも大変だっだが、同時に何十年も使われ木材の劣化もあった。

パネルソーで四辺をカット。サイズ・容積は約半分となった。

様々な工具が並び、おがくずの匂いが充満する部屋は、まさに「夢空間」だった。