日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

施設の犬

新聞を読んでいたら胸を打つ記事があった。犬が支える入院生活、とでもいう記事だった。

そういう働きをする犬がいる事は聞いていたがファシリティドッグという名前は知らなかった。ファシリティは施設だからそのまま訳すと施設犬になってしまう。しかしそれは施設で引き取り手を待つという話ではなく、それなりのトレーニングを受けて医療施設・つまり病院で働く犬たちの事と知った。

闘病の不安や痛みをいやすという目的で病院で飼われているファシリティドッグ。彼らの存在は入院患者の助けになる。しかしそこで犬に支えられて退院した子供たちはもう犬との再会は出来ない。健康管理や感染対策の徹底のためファシリティドッグは院内でしか会えないという。

病院を退院した子供たちに再会の機会を、そんな事をNPO法人が企画して運動会というカタチで実現した、そんな記事だった。ファシリティドッグは記事で紹介されていたレトリバーで国内三頭目というからまだまだの取り組みなのだろう。白血病の治療で抗がん剤による嘔吐に寄り添い骨髄移植の手術を見守ってくれた、という小学生の感動の再会の記事だった。神奈川県立こども医療センターでの話とある。(神奈川新聞2023年5月29日朝刊より)

犬に触れ抱くと、彼らの温かみと鼓動が通じ合う。自分の闘病生活で、もし横に犬が居れば自分は随分と癒されたことと思う。実際入院明けで帰宅して、玄関先で千切れんばかりに尻尾を振る愛犬を見て、そう思った。触って抱きしめて抱きかかえる。体温、呼吸、鼓動、そしてずしりと重量感がある。自分と彼の呼吸がシンクロした時は嬉しくて震える。わずか5キロ台の我が家の小さな犬でもそうなのだ。老人施設で慰問するセラピードッグの話も良く聞く。癒し、情緒の安定、散歩を共にすることによる適度な運動。活躍の理由がわかる。盲導犬の奉仕は駅で街で時折見かける。目の不自由な方は盲導犬の挙動と自分の五感が頼りだ。

セラピードッグも然りだがファシリティドッグになるとその手綱を握るハンドラーも必要で、きっとその数も少ないのだろう。盲導犬も育成が大変だという。これからだと思う。しかし犬は人間にとって長きパートナーで数千年前の壁画にも描かれているという。これからきっとより人間とのかかわりあいが深まるだろう。

良い記事に触れる事が出来た。縁があって我が家に来た犬。何の肩書もないシーズー犬。しかし彼が自分と家族に運んできてくれたものはとても大きい。寿命の行きがかり上、多分彼は先に虹の向こうに行くだろう。ただ彼のオムツを交換しながらも、それがずっと先の話であればひたすら嬉しいとすら思うだけだ。

友の犬たち: 友が飼っていたレトリバー。実際に会ったことはなく色も違うのだが想像で描いた。数えられない程の安らぎをくれた、そう友は語っていた。もう一人の友はボーダーコリーが相棒だった。彼には実際に会ったことがある。とても利発で玄関先から見送りをしてくれた。どちらも全く下手くそな絵でこれも友に申し訳ない。

我が家の犬となるとペン画の漫画タッチになってしまうのは何故だろう。しかし彼は彼なりに無償の愛をひたすら与え続けてくれる。

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