日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

追憶の百名山を描く(11)・丹沢山

●始めに: 

日本百名山深田久弥氏が選んだ百の名峰。山岳文学としても素晴らしい書だが、著者の意とは反して、このハントがブームになって久しいようだ。自分は特に完登は目指していない。技術的にも気力的にも出来ない山があると知っている。ただ良い指標になるので自分で登れる範囲で登っている。可能であればテレマークスキーも使う。この深田百名山、無理なく登れる範囲をどこかで終えたら、あとは自分の好きな山を加えて自分の中での百名山にしたい、その程度に思っている。

自分が登った懐かしい百名山を絵に描いて振り返ってみたい。いずれの山も、素晴らしい登頂の記憶が残っている。時間をかけて筆を動かす事で、その山行での苦しみや歓び、感動を、まるで絵を書くようにゆっくりと思い出すのではないか、そんな気がする。そうして時間を越えて追憶の山との再会を果たすという訳だ。

● 丹沢山(1673m(蛭ケ岳)、神奈川県相模原市他)

何事も初めての経験は印象深い。山らしい山として生まれて初めて登った山は、大山(1252m・神奈川県伊勢原市)だった。丹沢の前衛の山だ。小学校六年生。担任の先生は山の好きな方で、休日にクラスの有志を募りそれに参加した。小児喘息を引きずり体育は見学で過ごすことが多かった自分も参加した。それは当時好きだった女子(あき子ちゃん)が参加するからだった。蓑毛のバス停から登りヤビツ峠経由で山頂へ。下りのケーブル駅までの道も憧れの女子と一緒だと楽しいものだった。「下りは膝が笑うね」とあき子ちゃんは言った。膝って笑うものなのか。あき子ちゃんすごいなぁ。辛かったがとても良い印象を残した。自分でも登れた、そんな達成感もあったのだろう。岩手の遠野出身の担任の先生は学生時代の学友と2名で、パーティを組んだ。今思えば、学童10名程度の引率は心配だったのかもしれない。

大山は大学のキャンパスのすぐ裏手に大きかった。自分の学年から教養課程が厚木に移ったのだった。新造の校舎から見る大山に雲がかかれば雨が来る。そう言われていた。「雨降山」というのも頷けた。懐かしいな、とあき子ちゃんに憧れていた少年時代の自分を思い出したのだった。

成人して初めて山らしい山を歩いたのも、また丹沢だった。それは結婚して住み始めた部屋から毎日のように眺める山並みだった。ヤビツから表尾根に入り、鎖場にたじろぎ、果てぬ上り下りに消耗して塔ノ岳。とてもテントを張る気力はなく山頂の小屋に泊まった。そして鍋割山を経由して大倉に下りた。小屋から見た明滅する関東平野の眺めには打たれた。大倉に歩くまで心を満たしたのは充実した達成感だった。これを手始めにして、丹沢の主だった大きな尾根はほぼ歩いた。誰も居ない尾根道でのテント泊は動物の気配が濃厚でいつも熟睡できなかった。実際鹿は多く、時にクマの気配も感じた。そんな丹沢も5月は格別だ。トウゴクミツバとシロヤシオツツジの美しさを知ったのも丹沢だった。バイケイソウの咲き乱れる檜洞丸の山頂は別天地。また全山を通じ秋のブナの紅葉も、軽アイゼンを履く雪の尾根道も捨てがたかった。

丹沢と一口に言うがとても広い。西の端は山中湖の東端まで続くと言ってもいいだろう。この巨大な山群を一目で見る事は出来ない。相模川から見れば前衛の大山、その奥に主脈を見る。南から北へ、塔ノ岳・丹沢山・最高峰の蛭ケ岳。ここまで長くせりあがりながら、頂点の蛭ケ岳からは長い背中を更にゆっくりと北に伸ばす。焼山の高まりを持ってその山脈は相模川が作る谷に力尽きて消えていく。当然主脈から西へ伸びていく西丹沢の山々は見えない。一方山中湖から見れば丹沢主脈は見られない。西丹沢の重鎮たる檜洞丸もまた見えない。北からはどうだろう。中央高速から見れば、最北端の秀峰・大室山を見るだけだ。ドローンでも駆って海抜2500メートルあたりまで上がれるだろうか。するとこの巨大な山々の全貌が、驚くほどの複雑さを持って見えてくるだろう。その尾根の多くに懐かしさがある。

懐古の情からか、昨年の晩秋に友と丹沢主脈を歩いた。30年振りだったかもしれない。何時も素通りしていた神奈川県の最高峰の山小屋で一夜を過ごした。西に向いた凍てついた窓の向こうに富士が残照に黒い影を作っていた。

機会を作り丹沢以外の幾つかの山にも登ってきた。丹沢よりきつい山も当然あった。しかし神奈川県に住む岳人にとって、丹沢は特別だろう。卒業した我が小学校の校歌は「♪ 丹沢・箱根・富士の空、夕日に映えて夏の日も、冬の日も…」と続いていた。馴染まないほうが無理だった。

丹沢にはまだまだ未知の尾根も多くある。知らない地には好奇心が湧く。知った尾根もまた懐かしい。我が身の心と体のバランスを考えて、またいつか歩く日は、きっと来るだろう。

相模川から丹沢を見た秋の日。最前列に遠慮なしに大きな大山の裏手に、丹沢の主脈は長く南北に続く。しかしここからは見る事の出来ぬ西への広がりも忘れてはいけない。全く呆れるほど大きな山には、校歌を歌った幼童の事からいつも親しみを感じている。