日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

スズムシ

近所のスーパーに出かけた。見たことのある高齢の女性が手押しカートに頼ってゆっくりと歩いていた。隣には彼女の息子さんと思しき男性が付き添っていた。

少し昔の記憶を紐解いて思い出した。僕は彼女を週に数度車に乗せていたのだった。彼女は自分が勤務している施設の高齢者デイサービスの利用者のNさんだった。彼女の家は階段の坂道の途中にあった。迎えに行くと坂の下で介護職の職員が降りて階段を登っていく。しばらくして背中を丸めて階段を介護職員に支えながら下りて来ては車に乗り込むのだった。

自分の仕事は送迎ばかりではなく、空いた時間を用いて利用者さんとレクリエーションすることもあった。学生の頃に覚えた下手くそな麻雀と、トランプ遊びが役に立った。Nさんは記憶力のほうは年相応と言うべきか、トランプも手札をすべてさらしてしまったり忘れ物もした。同席の利用者さんが、手札を明かしちゃだめだよ、と言うのだ。しかし僕が「いい札の切り方ですね」と言うと何やら彼女は嬉しそうだった。彼女が利用者さんとして来ない日は、トランプ遊びも少しつまらないのだった。

高齢者を一台当たり六名程度乗せて走る事は自分には少し負担だった。他人を乗せるとは脳の手術をした身としてはすべき仕事ではなかった。希望して配置転換をしてもらった。地域住民との交流を図るという部署で自分は利用者団体の対応や参加から、部屋の掃除、職員自転車や車いすの空気入れ、ごみ捨てなど「何でも屋」のような仕事をした。小学生の頃、学校に居た用務員さんに自分には何故か親しみを抱いていた。何でも器用にやってしまうのだから。

僕は不器用だが、雑用でも人の役に立つことは楽しい。また地元の人たちとの交流も面白かった。ボランティアの高齢者向けお弁当作り、体操サークル、手話教室、心と体の発達に不安を抱く子育てサークルもある。障害を持ったお子様と親御さんと遊ぶ集いでは自分も全力で遊ぶ。会社員時代には考えられなかった新しい世界だった。そんな施設の受付エリアに自分の席があった。

便利だがあまり良い席ではないな、と思う。ふと気づく。だんだんと、かつて自分の車に乗っていただいたデイサービスの利用者さんや見覚えのある方もいつか見かけなくなるのだった。逝去の知らせが回ることもあれば、老人ホームへ生活拠点を移したという事も職員の会話から察せられる。

Nさんについて、心配していた。顔を合わせる事もなかったからだった。しかし間違えなくスーパーで見かけた彼女はNさんに違いなかった。息子さんが横に居るのなら安心だろう。「Nさん、お元気そうですね。僕は運転手をしていたんですよ。今日はお買い物楽しめますね」と、よほど声をかけようかと思ったが、そこに逡巡があった。

それは彼女の目だった。手押しカートを力いっぱい握り、歩こうとしている目には力があった。息子さんもいらっしゃる。今更自分が話しかけて何になろう。彼女は今を精いっぱい生きている。たとえ手札をすべてさらしてしまっても、それは前を見ている今の彼女には関係なかった。「Nさん頑張ってね」、と心の中で呼びかけた。

しばらくしてNさんが施設の利用を止めたと聞いた。その後の事は何も知らない。知っても自分は何も出来ない。Nさんを見かけたスーパーも、何となく行かなくなった。夏から秋へ季節は明瞭に変わった。長雨の後急に気温が下がることがある。それが今日だった。長そでシャツを引っ張り出した。窓を開けると鈴虫の声が聞こえるのだった。雨上がりの夜にその声はひどく澄んでいた。

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村