日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

番号の意味

子供の頃のかけっこ。もちろん一等賞が嬉しいものだろう。運動全般が苦手だった自分には縁のない数字だった。

高齢者になり自立生活が難しくなるとその方には介護保険の傘の下に番号付けがされるということを自分はこの三年前までは知らなかった。そんな番号をつけるのは役所だった。介護事業をもやっている施設で非常勤職員として働くようになってから少しづつ仕組みを知るようになった。

要支援1そして2。要介護は1から5まで。実に7段階の区分けがある。要支援1が最も軽く要介護5が重い。支援と介護、それらの番号付けは日常生活が自力で行えるか。つまりADL(Activities of Daily Living) のレベルに応じている。支援レベルが高いほど、介護レベルが高いほど、介護保険の総枠から沢山のサービスが享受できるようになる。と同時にサービス利用料の単価も少しづつ上がる。福祉用具レンタル、ヘルパー、デイサービス、デイケア、訪問診療、訪問医療、そんな様々なサービスが高齢者を支えている。

先日世を去った父。三年前に老人ホームに入居したときは要介護5だったが、逝去時点では要介護4になっていた。体の状態が良くなりADLが改善した訳ではなく、日がな寝たきりでサービスに人の手を必要しなくなったため等級が軽くなったと思う。皮肉な逆転現象だった。

母はしばらく前に道路で転倒し骨を折り要支援1の認定を得ていた。しかし昭和の気骨と古き価値観が人の手を借りて生活することを拒んでいた。が、50歳代の若さで自分の姉が世を去り、同時に父が施設に入り、更に自分も病で入院した。そんな不幸の将棋倒しに巻き込まれたかのように日常動作が出来なくなっていた。あれ程嫌がった他人のサービスも受けるようになっていた。要介護1レベルだったはずだが、父の訃報を聞きADLはますます低下し要介護3の認定がおりた。その数字は、立ち上がり、歩行、入浴、排泄。それらが人の手を借りないと出来ないことを意味していた。

介護レベルが上がることで母はこれまで以上に手厚いサポートが受けられるようになった。母親のケアプランを親身に作りアレンジしてくださるケアマネージャーさんは、ああ一これで十分な対応が出来る、とホッとしたようだった。しかしそれは同時に母の身体レベルの低下をも意味していた。その数字に喜ぶべきか悲しむべきか、自分はわからなかった。

単純に駆け足が一番早くて喜ぶのとは違っている。数字の意味はこれ程まで「重い」。人生の後半戦でそのような番号に最後までつきまとわれるのも、辛い話かもしれない。自分は一等賞にはずっと縁が無かった。これからもそうありたい。

薄青色の介護保険書。有効期限は一年。しかしADLの変化に伴い随時見直しが可能になる。判定には役所から担当者が見えて本人の調子確認・ヒアリングがある。父と母でこれを何枚手に取ったのだろう。いつか自分のモノも手にするのだろうか。



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