日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

山の湯

登山の楽しみの一つは、山麓の湯だろう。三十年以上昔の政府の肝いり政策・ふるさと創生事業で支給された支援金を元で多くの温泉施設が至る所にできた。下山して緊張が解ける。そこに暖かい湯がある。いつか山が目的なのか湯が目的なのかわからなくなる。有名な温泉地ばかりではなく名もない古くからの温泉地や湯治場もあれは、それこそふるさと創出事業であたりをボーリングして出来た日帰り湯まで、温泉はその気になればすぐに見つかる。

いったいこれ迄幾つの温泉に入ったのか、あいにくと数えていない。登山の回数とそれはほぼ同じだろう。数百カ所だろうか。どの湯も素晴らしいのだが、やはりひなびた共同湯がありがたい。更衣室の篭など数個しかない。シャワーなど期待できない。あるのはふんだんに溢れる熱い湯だけだ。そんな小さな湯船で地元の方の言葉を聞きながら山の疲れをいやすとそこは桃源郷だろうか、と錯覚を覚える。

ある高原の共同湯は驚くほど熱い湯で湯船に体を沈めるのも容易ではなかった。しかしそこに無理をして浸かるとスキー板を履いて山頂を踏んだ疲労感が湯に溶けて行った。ある湯は硫黄泉だった。ここも山スキーで山頂を踏んだ山行だった。余りに強い風でシールを付けていてもスキーが進まなかった。たたらを踏むように山頂を目指した。山頂標識には風下に向けて雪が横に凍り付いていた。エビの尻尾だった。湯船で初めて顔の一部が凍傷になっていたと気づいた。じっくり温まった。夏山から下山して入った共同湯は驚いたことに番台もなく、木戸銭を入れる木箱が壁に掛かっているだけだった。地元の農家の方が入りに来るとしか思えなかった。ある共同湯に至ってはプレハブ小屋だった。数十年前の山のガイドブックに写っている写真のままだった。しかし湯は素晴らしかった。内湯は熱いのでまずは露天に入ってくださいと言う但し書きは初めてだった。山谷のせせらぎを聴きながらの熱い外湯は夢心地だった。湯の中で雪山登山で一日酷使した体の疲れは抜けていった。

お気に入りの山の湯を書き出したらきりがない。残念なことにどこも自宅からは近くはない。素朴な共同湯でなくともふるさと創生湯でも構わない。まだまだ探せるだろう。必ず手近な所に温泉あり。火山と地震の因果関係はどれほどだろう。プレート型の地震は火山とは無縁だろうが、火山性地震もあれば噴火もある。災難ではあるが温泉は火山国日本ならではの楽しみだろう。さあて、次はどの山に登るか、そしてどんな湯が待っているか。そんな楽しみ方も悪くない。

熱くて湯船につかるには勇気が必要だった。山スキーの疲れが溶けて行った。長野・蓼科温泉

これが共同湯とは誰も気づかない。番台もなく木戸錢をいれる木箱だけだった。群馬・猿が京温泉

三十年前の登山ガイドブックと変わらぬ姿。プレハブだ。しかし湯は抜群だった。群馬・みなかみ町営温泉・三峰の湯

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