日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

追憶の百名山を描く(13)・鳥海山

●始めに: 

日本百名山深田久弥氏が選んだ百の名峰。山岳文学としても素晴らしい書だが、著者の意とは反して、このハントがブームになって久しいようだ。自分は特に完登は目指していない。技術的にも気力的にも出来ない山があると知っている。ただ良い指標になるので自分で登れる範囲で登っている。可能であればテレマークスキーも使う。この深田百名山、無理なく登れる範囲をどこかで終えたら、あとは自分の好きな山を加えて自分の中での百名山にしたい、その程度に思っている。

自分が登った懐かしい百名山を絵に描いて振り返ってみたい。いずれの山も、素晴らしい登頂の記憶が残っている。時間をかけて筆を動かす事で、その山行での苦しみや歓び、感動を、まるで絵を書くようにゆっくりと思い出すのではないか、そんな気がする。そうして時間を越えて追憶の山との再会を果たすという訳だ。

鳥海山(2236m山形県飽海郡遊佐町

ああ、これはすごいな。

一進一退を繰り返しながら呼吸を見計らって数歩ずつ海を目指すウミガメの稚児か、たったひとつの卵を目指して狭い道を進む精子なのか。喉の様に狭くなった谷を、遥かに下から転々と豆粒の様に登山者が登ってくるのだった。豆粒は止まっては進み、着実に上がってくる。

どんな低山でも山と言うからには必ず辛い箇所がある。登りのきつさだったり、技術的に難しく肝を冷やすルートなり。自分達がスキーを履いて登った鳥海山の場合は、山頂直下の急坂・舎利坂がそれだった。

そこまで散々絞られてからの最後の詰めの大斜面だった。ここでシャリバテを起こすだろうからか、高僧の骨でも埋まっているからなのか。舎利坂とは言い得て妙だった。その雪の大斜面を避けて、遠回りにはなるが自分たちはやや東南側に回り込んで高度を稼いだ。沢屋の言葉を借りるなら「高まく」のだった。 一等点の経つピークに続く尾根を辿るとそこは舎利坂を登り詰めた場所で、噂に聞く大斜面を真上から見下ろしていた。

大きな斜面も山頂直下で狭くなりさながら産道のようになる。そこを目指す登山者たちを見て、まるで生命の証を確認しようとする本能に満ち溢れた原始的なエネルギーを感じた。舎利坂という抹香臭い坂の名前も、やはり命の起源に迫るものを感じさせたのだった。

ここにして 浪の上なる みちのくの 鳥海山は さやけき山ぞ (斎藤茂吉

山形の産んだ大歌人斎藤茂吉の歌を深田久弥は文中で引用していた。浪の上なる…波の上にあるのならばこの歌は酒田あたりで小舟に乗り、日本海を沖にでてから望んだのだろうか。しかし日本海まで出ずとも象潟の街まで降りるだけで、この歌が正鵠を得たものと分かるのだった。水田の向こうに颯爽と立っていた。

出羽富士・鳥海山。実際庄内の平野から見るとこれほどまで立派な山岳威容は本家の富士山を置いて他に思い浮かばないのだ。利尻岳宮之浦岳もあるかもしれぬ。しかし裾野の広さで及ばない。日本海に悠々と注ぐ最上川が作った肥沃な平野は日本でも有数の米どころだ。鳥海山は確かに昔から五穀豊穣の証として里人から敬われた事は確かだろう。それは雪に埋まった山頂の神社にも表れていた。同じくこの山を源の一つとする雄物川が作った秋田平野からは姿を見ていない。それを見ずしてでは秋田の人に申し訳が無いだろう。秋田の銘米もまた、鳥海山が生んだものだ。江戸の頃に北前船から東にすっくと立つこの山を見上げた時、船の人々の驚きはどんなものだったのだろう。

5月の鳥海山はスキー登山のための山だ。スキーに滑り止めを貼り踵を上げて登れば気持ちよくピッチも上がる。我々は祓川から登った。右手に日本海が見えてくると登った甲斐があるなと思うのだった。しかし火山が作ったコニーデの広大な斜面は、滑りの心地よさに身を任せてしまい沢を一筋、尾根を一つ間違えば帰りは随分と違うところに下山することになってしまう。目星をつけながら登ると、いい加減疲れたころに最後の急坂があった。舎利坂だった。

一等点のある山頂・七高山での一休みは満たされたものだった。日本海が左手に広がるのだ。爆裂火口の外輪山だ。これより7メートル高い最高峰の新山は目の前だが、雪壁になっている火口縁を降下して登り返さなくてはいけない。アイゼンとピッケルが必要に思えた。その7メートルにこだわる必要はなかった。自分はここで満足だった。

あとはシュルンドやクレバスに落ちぬよう、ミスコースをしないよう、滑り降りるだけだった。丁度西日を背にして滑ることになる。雪の大斜面にテレマークスキーシュプールを大きく描きながら滑る楽しさ。自分の影は長くのび、それが左右に大きく揺れた。その影を追い越そうと思ったが無意味な事だった。スキーを長くやって来たが、今でもあれを超えるスキーの楽しさに出会ったことはない。滑れども滑れども、果てはなかった。

日本海の街へ向かう途中だった。東に広がる見事な山。山紫水明だった。確かに立ったあの山頂。そして左手に広がる無限のスロープには人口造営物の一つもなく、ただ大斜面を思うがままに果て無く滑ったのだった。あれ以上のスキーはないだろう。庄内平野から見てやはり鳥海は名山だと、唸った。