日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

娘の自転車

いいの、人の話は聞きたくないの。自分で決めるし人からああだこうだとウンチク聞きたくないの。・・私は一人の時間が欲しいから自転車を買ったの。

くそ、なんで混んでるのかな、渋滞の一番先まで行ってその原因を起こしている「ヤツ」を割り出して謝らした上に排除したい。

僕は余りにおかしくて笑ってしまうのだが同時に申し訳ないと謝りたいのだった。こんな暴言を吐く人とは友達にはなりたくない。しかし認めなくてはいけない。全ては自分から出てきたもの、身から出た錆だと。

最初の言葉は長女から、後ろの言葉は次女から口に出たもの。内容は都度変わるが彼女たちの口から似たような言葉をよく聞く。それは全く僕そのものだった。すまぬ、ごめんね、と、思うのだ。彼女たちと過ごした時間は二十数年。その間にすっかり自分の考え方やモノの言い方がうつってしまった。自分の嫌な面その一が長女に、その二が次女に継承された。

長女がある日突然真新しい自転車に乗って帰宅したのは彼女がまだ大学生の時だった。オレンジ色の軽快車だった。翌日それに乗り何処かへサイクリングに行った様だ。帰ってくるなりこれ重たいなあ、坂道もきついしな、と言うのだ。五段のギアがついているとはいえお母さんのお買い物自転車なのだから当たり前なのだ。自転車については僕はうるさい。安価でも良質なスポーツサイクルを腕のしっかりしたお店から買うのが良いね。自転車はメンテも必要だからね。買う前に相談してくれると良かったのにね。そう言って返ってきたのが最初の言葉だった。

次女とともに車に乗っていた。彼女はその後に旦那様と予定があったようで最寄り駅までの渋滞を前に口走った。二つ目の言葉だった。

赤ん坊はプレーンな状態で生まれてくる。あれほどに真っ白な存在もない。しかしそれは良いも悪いも含めて染まってくる。最大のインフルエンサーは親であることには疑う余地もない。結局僕はとてつもなく皮肉屋で排他性に満ちた自己中心的な男だったと今更に気づくのだった。

二人の娘たちはそれぞれに近くに住んでいるのに数ヶ月に一回来るか来ないか。上手くやっているのならそれで良い。こちらからはおいでよとは言わないことにしている。僕がそうであるように彼女たちもそれぞれの家庭にて配偶者相手に素顔を見せているのだろう。ならば良い。それでも回っていくのだからありがたいものだ。僕は自分の傍若無人さ故に家内をどれほど傷つかせ苛立たせたことだろう、謝っても謝りきれない。そう思うとどうか尖ることなく仲良く過ごしてほしいと、それだけを願っている。

娘の自転車は今も自宅に置いてある。被せたビニールカバーは風で何処かに飛んでしまった。結婚した際に新居に持っていきなよと言ったが、電動アシスト車買うから要らない。捨てていいよ、というのだった。自分とは似ているようで違うところもあるな、と、なにか安心し嬉しかった。

 

鼻がぺちゃんこな犬は「鼻ペチャ犬」と呼ばれている。フレンチブルドッグシーズーは似ているようであり違うこともある。自分と娘たちの関係に似ているな、と何故か嬉しいのだった。

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