日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

ザルツブルグへの旅行

細君と二人ザルツブルクを旅行した。オーストリア・アルプスが近くに見える。憧れの街だった。明るい陽光でも湿気はない、それは典型的な中部ヨーロッパの夏だった。

旅の目的はもちろん「ザルツブルク音楽祭」。100年以上の歴史を誇る世界最大の音楽祭だろう。

今年のプログラムの目玉はカール・ベームが振るモーツァルトの「フィガロの結婚」。彼の自家薬籠中のオペラだ。フィガロとスザンナにはヘルマン・プライルチア・ポップが配役されているという贅沢さ。素晴らしい歌世界が絵巻物として、古い街に流れる夏の日。町中は音楽に満たされる。憧れのベームの生の指揮棒に触れるのは初めてだった。

しかし何故か、近代的なオーケストラホールに家内と席を見つけて席にようやく座ったのだった。ザルツブルグ中央駅から必死で走ってここまで来た。

力強いトゥッティで始まったのはモーツァルトでもない。楽器と合唱による強烈なエネルギーの全放出に、ただ打ちのめされてしまった。小澤征爾ベルリン・フィルを振っている。「おおフォルトナ」。何故予定を変更してカール・オルフの「カルミナ・ブラーナ」を聴いているのだろう。ここは何処だろう。ベームが振る「フィガロの結婚」は何処に行ったのだろう。

そこで尿意が高まり目が覚めた。隣では娘がまだ寝ている。彼女を起こさないようにと、ゆっくりと部屋を出てトイレに向かった。思えばカール・ベームが世を去ったのは1980年代初頭だった。自分はまだ高校生だ。夢は全く、時空を超えるのだろう。

* *

昨夜は次女と細君と三人で、久々に沢山飲んだ。社会人になり彼女が家を出て二年はあっという間だった。そんな娘は東京への出張ついでに実家に泊まると、昨夜やってきた。

「話したいことがある」と、そう娘は切り出した。結婚の意を伝えてくれたのだ。そんな予感はしていた。長女の時と同じで、もちろんその場で快諾した。相手は浪人して入学した大学で出会った同級生、卒業後の進路はそれぞれ異なったようだ。学生時代の恋人と別れてしまうという話は良く聞く。それぞれの新しい社会で新しい価値観に、人に出会い、やがて貼りあわさっていた面はずれていきいつか線になり、そして点になる。娘の場合はどうだろう。それとなく話を聞いていた無力な父親としては、やはり心配ではあった。そうなったら辛いだろうがそれも仕方ないと。

しかし社会人で二年間、それぞれが異なる環境で過ごしての今日の話だ。娘の選んだ相手なら間違いはない。良かったと肩をなでおろし、家内と乾杯した。嬉しかった。

フィガロとスザンナは様々な妨害や障壁を乗り越えて結婚する。若い彼らの愛を妨げるものは二人の熱が溶かしてしまう。軽やかで美しい序曲はそんな絵巻物への素敵な招待状だ。

オルフのカルミナ・ブラーナ世俗カンタータと言われる。オーケストラにテノールバリトン・バス、混成合唱に児童合唱が加わり一時間にわたり大編成で演奏される。下世話な話から愛の世界へと結びつく素晴らしい人間賛歌。時に妖しく渦巻き、清らかに歌われ、最後に大爆発する愛の世界は演奏の熱量がすさまじい。

夢は一曲目の「おおフォルトナ」で醒めてしまった。続きはご自分でどうぞと言う事か。

もうすでに仕事で親元を離れていた次女も、結婚した長女と同様に自分たちの手を完全に離れてしまう。それは寂しさ? いや嬉しさが勝つ。自分たちが出来る事は、ただ見守る事だけ。劇中のフィガロとスザンナは山あり谷ありを乗り越えた。そして最後はオルフが生命賛歌・人間賛歌が愛の世界を高らかに歌う。写真で初めて見た娘の相手は背も高く頼もしそうだ。寄り添う娘の嬉しそうな表情が何よりだった。

これからの彼らの人生で、何かがあれば自分と妻で少しは手助けができればいい、それだけの事だろう。

これでもうすべて親としてやることはやった。家族に関して思い残すこともない。振り返ると次女と過ごした二十五年は長かったが短くもあった。彼女は素敵な相手と「愛の千年王国」だ。残った我ら、あとは妻と共に好きなことをしよう。

モーツァルトの生誕地でもあるオーストリアザルツブルグは夢。もう20年近く前に妻と二人の娘たちとこの街で夜行列車を降りたが、それは音楽祭の為ではなくスキー旅行だった。その娘たちは手を離れ、これからまた一人籍が抜けて行く。二人で始まった家族もいつか四人、そして三人へ。そして又二人に戻る。待降節に入りアドベントカレンダーをめくり、聖夜を待つ頃に四人で訪れた街は、いつしか追憶の彼方になった。

これから続く家内と二人の人生。長い航海の様に楽しめばよい。手始めには二人だけで狭いエコノミーシートに座り機中の人となり、オーストリアの夏の音楽祭へと再びかの街へ訪れたいと思っている。…それもまた、夢。

ドイツ・デュッセルドルフ駅からモスクワ行きの夜行寝台列車に乗り、翌朝早朝ザルツブルグで下車した。 アドベントカレンダーを毎日めくっていく季節。オーストリア・アルプスが見える静かな街で、四人でのスキーのクリスマスだった。

動画サイトより

・オペラ「フィガロの結婚」序曲(モーツァルト)。ジェイムス・レヴァイン指揮メトロポリタンオペラの映像。素敵な序曲で始まる劇の幕開け。さて彼らを待ち受けるものは・・https://www.youtube.com/watch?v=VqICABDa7WE

世俗カンタータカルミナ・ブラーナ」より第一曲「おおフォルトナ」。小澤征爾指揮ベルリン・フィル小澤征爾が日本人の合唱団を率いてベルリンフィルでオルフを振った、という当時大変に話題になった盤より。https://www.youtube.com/watch?v=zoiTOPOchyM