アルプスの少女ハイジだったか。ハイジがおじいちゃんと住んでいた家からは煙が出ていたように思う。小学校六年生だった。そんな年齢の男の子にでも憧れる女の子がいるものだ。明子ちゃんと言う名前だった。彼女とその親友の友子ちゃんと三人で何故か交換日記をやっていた。快活な明子ちゃんがハイジでおとなしい友子ちゃんはクララ。そして僕はペーターだった。それを決めたのは明子ちゃんだったが、僕はハイジを追って高原を走りまわるペーターのようにドキドキした。少しだけ大人びた体つきの明子ちゃんといるとなぜか息が苦しくなり胸がキュッとしたのだった。三人でハイジを模した日記か。当然ストーリーを知る必要がある。テレビアニメを見始めた。画面の中、黙々と煙を吐く赤い屋根の家が印象的だった。正確には暖炉からの煙突だろう。
煙突から出る煙は、そこにハイジとおじいちゃんの様な温かい家庭がある、そんな印象を幼心に持った。煙突と煙に、僕は憧れた。
高原の家に引っ越す際に暖房器具を考えた。海抜九百メートルなのだ。海抜百メートルあたり0.6度気温が下がる。横浜からどの季節も5から6度は温度が低いことになる。冬の日に実のところ朝はマイナス10度を切る日もあるという。選択肢は色々ある。この地に住む友人は夜間電力を利用した蓄熱器を使っている。驚くほどに暖かい。家の外に巨大な灯油タンクを備えた家もある。やはり石油が一番と言う。自分はどうしよう?ハイジの家。そう、やや夢を見たかったのかもしれない。薪ストーブを選んだ。しかしその実力は分からないのだから大型のエアコンも備えた。二つあれば何とかなるだろう。
薪の焚きつけは初めは苦労したが今は手慣れて来た。薪ストーブはその鋳物の表面温度が200度辺りまで上昇する。300度近くなると燃やしすぎだった。時にガラス扉を半開きにして空気をたくさん入れるとこれぞと燃える。ハイジはこの位の温度の小屋にいたのだろうか。
明け方はエアコンに頼るのも良いが早起きしたので薪を燃やした。重ね着をして戸外に出ると煙突から煙が出ていた。それは北西の風を受け南東の富士山の方向に流れていった。ああ、我が家もハイジの家になったな。そう思うのだった。自分の好きな絵画の一つに十六世紀のオランダの画家、ピーター・ブリューゲルの「狩人の帰還」という絵がある。雪の山村に狩人の一行が獲物を片手に帰ってくる、そんな絵だった。その山村の風景描写が素敵に思う。はて、描かれた民家の煙突から煙はでていただろうか?僕は自分の部屋に飾っているコピーのポスターをじっくり見た。帰還した狩人の真横で焚火をしている村の婦人たち。谷間にある民家は絵にすると小さいが、なんとなく煙突から煙を吐いているように思えた。我が家と同じだ。いやもしかしたら吐いていなくてはいけない、そういう想いかもしれなかったが。僕はこの絵の中の住人になりたかったのだ。いつかそれが叶っていた。
ハイジの家、ブリューゲルの絵の世界。同じような風景の中に煙を吐く我が家があるという事がひどく自分を嬉しくさせた。まだ高原の冬は、自分達の冬の生活は始まったばかりだった。♪口笛はなぜ 遠くまで聞こえるの あの雲はなぜ わたしを待ってるの ...。明子ちゃんと友子ちゃんと、ともに歌った世界だった。
素敵な冬よ、もっと寒く、雪も沢山ふっておくれ。いや我が家は還暦越えなのだからお手柔らかによろしく楽しませておくれ。そんな事を思うのだった。犬の散歩で外に出たら相変わらずの寒風だった。煙突の煙は確かに揺れるが僕は毛糸の帽子をかぶり直した。煙吐く家は楽しいけどやはり早く春が来てほしいな、と軟弱に思った。