日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

甲斐からの山・十文字小屋と甲武信岳 

登山は通常山頂を目指すものだ。暗い谷から登り始めて斜面を高まいて尾根に登りつくこともあれば、最初から明瞭な尾根筋を捉えてそれを登ることもあるだろう。どんな山にも必ず一つは厳しい箇所が出てくる。鎖、三点確保、技術的に緊張を強いられる場所もある。そんな心のなかで警報が鳴るような場所もあればひたすら心臓と大腿四頭筋に負荷を与える箇所もある。鼻歌交じりで歩ける場所はさほどない。さような苦労の末に山頂はある。

それを目的としない山歩きは考えたこともなかった。が、あり得るのだった。それは山小屋を目指すものだった。山は基本テントだ、そう山を始めた頃から思っていたので避難小屋以外は山小屋に泊まったことはあまりない。食事付きで泊まらないと林道のバスに乗れない、そんなやむなき理由から泊まったことはあった。それ以外は仮に泊まったとしても素泊まりだった。テント泊前提なので食料も炊事道具も背負っているのだから食事付きにしたらもったいない。それに食事付きは高い。そんな理由だった。

その山小屋を目指そうと思ったのは何故だろうか。山の雑誌で読んだのか、テレビで出ていたのだろうか、もう定かではない。しかし女性一人で守っている山小屋があるという。それは長野と埼玉の県境の稜線に在るのだった。食事も含め小屋の雰囲気が良いという。名物小屋番とはどんな方なのだろう。きっとアットホームな山小屋に違いない、そう勝手に想像が膨らんだ。

長野と埼玉の県境?登山が好きでない限り、パスハンティングのベテランのサイクリストではない限りあまりピンとこないかもしれない。県境は南北に長い。その中ほどにあの山がある。大学四年の夏だった。リアルタイムで自分ははらはらしながらそして半ば諦めながらニュースを見ていた。御巣鷹山といえば誰もが知るだろう。そう、日航機墜落事故の現場だった。その山は国境山脈から東にあるが、深い山間部だった。このあたりを一躍有名にしたのだった。

そんな国境稜線を南に降りていくと三つの県の境をなす山がある。山梨・埼玉・信州の境となる。甲州武州・信州の境から「甲武信岳」と名が付いている。こぶしの花が咲くのだろうか?そうではないだろうが「こぶしだけ」とは良い名前だと思う。目指す山小屋は山頂直下の小屋ではなく、国境尾根を北に向かった途中にあった。十文字小屋と言う。山仲間と話が合致した。ともに十文字小屋に行ってみたかったのだった。行く以上は甲武信岳を踏んでおきたい。またルート途中には一等三角点が置かれている埼玉県最高峰・三宝山(2483m)もある。そこから千曲川源流に降りようという計画が立った。

高原レタスと言えば信濃川上だろう。日本一長い川は信濃川だがその上流は千曲川と呼ばれている。そんな千曲川最上流の狭い段丘が川上村だった。甲武信岳はもう三十年も昔に登った。その時は小海線野辺山駅からタクシーを使った。五千円程度だったと記憶する。記憶はもう無かったが集落の果てに駐車場がある。甲武信岳登山の基地だった。そこから東に向けた尾根に乗り三時間程度で十文字小屋だった。小屋の煙突からは薪ストーブの煙が出ている。裏はネットをしっかり張ってその奥は小さな畑だった。ダイコンや白菜が植わっているようだった。また薪も沢山置いてある。山小屋とは山の避難場所でもあるのだから予約なしで泊まれる、そんな時代は終わっていた。自分も一週間前に予約したのだった。予約に出た女性は若い声だったが実際にお会いしたら自分よりもずっと年上だった。
聞けば彼女は八十七歳と言う。とてもそうは思えぬのはやはり下界から三時間近く離れた小屋をこうして守っている、そんな気概があるからだろう。同宿の山屋さん達と彼女を真ん中にして薪ストーブを前に酒を交わした。話を聞くと、小屋が休みの日を利用して多くの山を歩いていたようだった。夜九時過ぎまでただただ酒を飲み山の話をした。僕は小屋番さんの苦労話や人生観が聞きたかった。それは自分に知らない世界を教えてくれるからだった。自分が求めていていた山小屋の夜がそこには在った。

朝食は五時だった。物音に目覚めるともう薪ストーブに火がついていた。暖かい朝食を頂いた。小屋番さんも11月になれば小屋を閉じ下界に降りるという。寂しいのかほっと一安心なのか。しかしこの小屋が彼女の生きがいであるとすればまた来春の小屋開きが待ち遠しいのだろう。

どうぞご健康に、そんな挨拶をして小屋を出た。数十歩も歩いたならもう小屋は深いシラベやトウヒの林に紛れて見えなくなってしまった。そこから先、武州・信州の国境尾根は細かいアップダウンが続きなかなか厳しいルートだった。大山には絶壁を鎖と岩を頼りに登った。高度感満点だった。下ってなお進んだ。奥秩父の魅力は深い森林、そして苔だ。さらにそんな木の枝にはサルオガセが揺れている。太い木々の肌は蒼古として粉を吹いている。その足元にはふかふかとした苔が密生している。そんな中をただ歩くのだった。ここに霧でも流れたら幻想的だろうが道を失うかもしれない。

三宝山を踏んでからいよいよ甲武信岳だった。山頂への短い急登に息が上がった。こんな山頂だったのだろうか?もう三十年前の記憶もなく僕たちはただただ眼下に昼がる奥秩父の深い山々に見入ったのだった。カラマツとブナの紅葉がありそこに甲州側からひっきりなしに雲が湧いては稜線を越えて去っていた。ああ滝雲だ・・。

稜線を降りて北に向けて下って行った。すぐに「千曲川源流の碑」があった。湧き出るこの水が信濃川の起点だった。この脇で写真を撮ったのはまだ二十歳代だった。また来るとは思っていなかった。こんなに長かったっけ?そう思いながらひたすら沢沿いの道を降りた。幾度もの台風があったのだろう。登山道はつき変わっており手間がかかった。平坦になったころには狭い谷は闇に溶け始めていた。憧れの小屋、懐かしの山頂。奥秩父は昔と何も変わっていなかった。この稜線を東に進み雲取山に立ち、そこから奥多摩駅まで。そんな奥秩父縦走路を何度かに分けて縦走した若き日を思い出した。追憶ではあったが今でも歩きたい、奥秩父の山々はそんな思いを抱かせた。

●十文字小屋 1979m 埼玉県秩父市甲武信岳 2475m 山梨県山梨市、長野県川上村、埼玉県秩父市

秩父の山々は山梨県と長野県の境にある金峰山から奥多摩ともいえる東京都最高峰・雲取山までの全長60キロに及ぶ縦走路が通じる一帯の山々だろう。南北アルプスに負けない長大な尾根だ。苔むした深い森が続き思い切り森林浴が楽しめるが山深くお釣りが出るかもしれない。そこは自分も好きな山のエリアだった。山中には山小屋も避難小屋もある。主脈縦走路からは北に外れるがいつか憧れていた十文字小屋、そして三十年ぶりの甲武信岳を今回味わった。ルートはアップダウンが厳しく、また、千曲川源流ルートも記憶とは異なり随分と荒れていた。所要時間はコースタイム通りにはいかないかもしれぬ。そう思ったのだった。実際二日目は十時間を超える長丁場だった。

2024年10月21日22日

毛木平11:40 - 文字小屋14:05 (泊)6:20 - 大山7:14/7:20 - 武州白岩山8:40/8:45 - 三宝山10:28/11:35 - 甲武信岳12:13/12:30 - 稜線分岐12:56 - 千曲川源流碑13:23 - 毛木平16:28

小屋の中には薪ストーブがあり灯油ランプの灯が暖かい。ここが憧れの山小屋だったのか。