日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

あの白い峰は?

高原の地に引っ越してきてから毎日碧芙蓉こと甲斐駒ケ岳を眺めている。まだまだ残雪を纏いたいのだろうが峻険な岸壁がそれを許さない。僅かに山頂部とルンゼの様な谷筋にそれを見る。まさに如何にも剛毅にして高邁な鉄の峰だった。そこから東への長い連嶺はこれも見飽きない。一部を残して自分は甲斐駒からその東端の鳳凰三山までをテントを担いで縦走していた。地蔵岳オベリスクも又下界から見てもよくわかる。一人ポツンと天を指している。こんな懐かしい稜線はいつ見ても心を揺るがせてくれる。甲斐駒から西にも峰は続く。鋸岳といういかにも峻険な名の通り高度感ある岩場ルートという事で体力・気力溢れる三十代四十代でも今一つその気になれなかった。今は遠い峰となった。

そんな懐かしい山々の稜線を僕は毎日検分をしている。家内はおよそ山には興味が無いのだが、そんな東西に続く稜線の中に白くとんがり帽子のみを奥に見せている峰を指して言うのだった。

あの白い峰は何なの?
良く気が付いたね。確かに目立つからね。

それは甲斐の白根だった。白根という山は多い。日光にも草津にもある。また自分が卒業した横浜の小学校も白根と言う場所にありその名が付いていた。甲斐の白根と言ってもピンとこないかもしれない。しかし山が好きならわかる。

日本で一番目に高い山は誰もが知るが二番目は?と問うと多くの人は首をかしげるだろう。深田久弥の「日本百名山」は各ページを暗記するまでに読んだ。そこから多くの日本語を学んだ。持ち歩くためと、書斎で読むためと、書棚に置いておくために三冊の同著を持っている。二番目の山に関してのページを開くと冒頭に平家物語からの引用がある。古典に歌われているのだった。

北に遠ざかりて、雪白き山あり 問へば甲斐の白根といふ

この一節を好きになり自分はこの山を見るたびにそれを口ずさむ。しかし甲斐の白根はそうそう平地からは見えない。富士山の様に平野に忽然と出没しているわけでもなく、前衛の山の奥に立っているからだ。山を屏風に見立てるならばこの山はその奥にある。しかし屏風である鳳凰三山から見るこの山の姿にはただ脱帽する。颯爽としている。海抜3193mとはまさに日本第二の山岳だ。「北岳」というその平凡な名前も、はにかんだように前衛の山に隠れているという事もこの山の奥ゆかしさにつながるだろう。

自分は三度、その山頂に立った。白根三山を縦走するためと、塩見岳へ縦走するため、そして仙塩尾根を歩くためだった。仙塩尾根はひと気少なくさびれたルートだった。自分は北岳の肩に張ったテントの中でそこへ行くか迷いそして諦めた。奥深さが怖かったのだろう。何度立ってもその山頂では胸にこみあげるものがありそれは涙という形で現れた。

懐かしい、本当に素晴らしいその山頂が見える事もこの地に住もうと決めた理由だった。しかしこの場所からは山頂の一部しか見えない。あの颯爽とした姿は目の前の鳳凰三山の裏側にある。高望はしない。山頂だけで充分だった。

あれは北岳なんだよ。二本で二番目に高いんだ。奥ゆかしいでしょ。僕が一番好きな山。あとは聖と赤石だね。

そう返事をした。僕は妻があの恥ずかしがり屋の彼女に気づいてくれたことが嬉しかった。雪が溶ける時期は短いがもう一度あの甲斐の白根の山頂に立ち涙を流したいと思う。今度は無理せずにテントなど持たず小屋泊りでも良いだろう。自分も還暦を越えたが今では彼女と同じ、甲斐の人間なのだから。

甲斐駒から鳳凰まで、
懐かしい稜線が続く。甲斐の白根は何処だろう。真ん中にポツンと白い峰があるのだった。

深田久弥の本はヒマラヤ登山に関するもの以外はほぼ読んだはずだ。三冊ある「日本百名山」、一冊はいつも持ち歩き、ガン病棟には家から持ってきてもらった。もうボロボロだ。しかし彼が鎌倉文士だった頃の作品は呼んだことはない。それも知らなかった。左下の本はそんな彼の過去について書かれている。二つの出会いがあったのか、と知ったのだ。