日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

来客

ピンポンとチャイムが鳴った。以前ならば誰だろうとカメラで覗いたかもしれない。しかしこの辺りには向かいの家と隣の家、その隣しか人家はない。昼過ぎに来たのは郵便配達で以前の住所から転送されてきた書留を持ってきた。転送サービスがようやく機能したようだった。

午後遅くに又チャイムが鳴った。ドアを開けて驚いた。しかし僕は彼が誰なのか直ぐにわかった。ずっとこの日を待っていたのだ。

信州は飯山の地に鍋倉山という1289mの峰がある。そこは越後と信州の国境稜線で「信越トレイル」という名のハイキングルートが在る。鍋倉山はその一部に過ぎないが好事家はこの峰を逃さない。JR飯山線は豪雪の地を行く鉄道で余りの積雪の多さで沿線の村が孤立して自衛隊が出動したこともある、そんなこともあり五月連休でもまだ残雪がある。

そこをスキーで登山する、そんなバックカントリースキーで有名なピークだった。ベースの山村には様々な地方のナンバーを付けた車が多く止まっている。無雪期には段々畑なのか水田なのかは分からない。そこをスキーで登り雪原と化した農業用池のほとりを歩き本格的な登りになる。尾根に直接取りつく人もいれば沢を詰めてる人もいる。自分は二度その山に登ったがともに沢を詰めた。

圧巻はブナの林だろう。森太郎と名付けられた立派なブナの樹があると言うがそれは尾根ルートに在った。自分の技術を見極めるといつもここは沢ルートを登ることになるのだった。森太郎は居ないが森二郎でも三郎でも良い、そこら中が見事なブナ林だった。沢を詰めて稜線に上がり南下すると山頂だった。

友人と山頂に登りつきスキーを脱いだ。山頂でスケッチブックを開いた時に独りのスキーヤーが登ってきた。外した板を見て驚いた。彼は滑り止めのシールを貼らずに板のウロコ加工だけでこの山を登って来たのだった。それだけなら挨拶ですんだだろうが、彼は自分と同じテレマークスキーを使っていた。

テレマーカーは山中で出会うと必ず心の中で挨拶をしている。登りや歩行の際は踵を開放し、滑りの際は固定してアルペンターンで滑るというのが一般的な山スキーだろう。しかしテレマークスキーは踵を締めるものが無い。母指球から足首にかけて常時解放されている。登高・歩行・滑走がシームレスな道具だ。故にテレマークターンという踵を挙げた独自のフォームで回転する。あれが何とも心地よい。そんなテレマークスキーは好きな人には通じる世界がある。北海道をオートバイでツーリングすると行きかうバイク同士にはピースサインを交わす。お互いに旅のエールを送るのだった。テレマーカー同士もそうだろう。

山頂で板を外した彼に話しかけた。山梨から来たと言われる。自分達は新幹線で飯山まで来てそこからレンタカーだった。山梨は何処か?と伺うと、H市だと言われた。そこは自分がいつか移住したいと思っていた場所だった。何かの縁かもしれないと、SNS情報を交換し合った。

それから二年、いや三年だろうか。時折SNSでのやり取りがあった。初夏に連絡を取った時には水田が綺麗な時期ですよ、と言われたのだった。彼の住む市への移住が本格的に決まった頃から、そして引っ越した後にも連絡を取った。

玄関向こうに立つ背の高い男性は間違えなく鍋倉山で出会ったテレマーカーだった。こちらの詳しい場所も伝えていないのにそれまでの情報で見えたのだった。ここはそんな事が可能な地なのだった。

ご挨拶に、と地元の農家さんで獲れたお米を頂いた。彼は早々と奥様の待つ車に戻られた。お二人に挨拶をして車は八が岳の方へ走り去った。

たった一度しか、時間にして十五分程度の出会いだった。不思議なものだと思う。彼が踵を開放しないアルペンスタイルの山スキーヤーだったらきっと自分も挨拶までだっただろう。しかし偶然にも踵の解放されたスキーを共に楽しんでいるのだった。

ゆっくりと話をしてみたい、そう思った。そんな時間はこれからだろう。夕べの来客は荷物整理で疲れ気味の心を癒してくれた。

沢を詰めて稜線に出て山頂に立った。日本海が見える山だった。スキーを脱いでいると同好の士に出会えた。今ここでまた会えるとは、嬉しい出会いだった。