日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

鹿往く道

引越しの疲れか、果て無き家の荷物整理か、まだまだ整わぬインフラなのか。体調がいま一つさえない。朝は東側の森の木漏れ日で目が覚める。ウグイスの鳴き声が二重窓を越して響いてくる。体にムチ打ち起床して朝食を取り犬を散歩に連れ出す。帰宅すると精魂尽き果てたように床に就く。体に嘘をついては駄目よ、とガン病棟で入院中に学生時代の友人からアドバイスを受けたことを思い出した。サレンダーなのよ、無理せずに従ってね、と彼女は言うのだった。

情けないけれど仕方ない。午後になってからようやく体を動かすことが出来る。六十七箱あった段ボール箱もようやく片付いたが棚に収まりきらないものは床に置いたままだった。すこしづつ棚もクローゼットに板を敷いて収納力を高める、そんな小さなDIYをやっていた。一日に幾つもの成果は出せない。馬力を失った自分をこれほどまで自覚させられることもない。

午後遅くなるころにホームセンターへ買い物に出かける。その途中で五分も走り友人宅に立ち寄る。車があれば在宅、無ければ不在と分かりやすい。我が家に門扉も無いのは友人宅を参考にしたからかもしれない。実際このあたりで門扉のある家などめったに見ない。不要なのだろう。

こんにちは。とウッドデッキの前で声を出すと友人夫婦が出てきた。顔を見るだけのつもりだが家内と犬の二名と一匹でデッキの椅子に座ってしまった。引っ越して二週間弱の苦労話や課題についてとりとめもなく話した。かの地に十五年前以上に移住してきた友人の話は参考になり、心も体も癒されるのだった。

ふと三十分も話し込んでしまった。友人宅を辞して緑の道を走った。

突然ブレーキを踏んだ。目の前に十メートルに鹿が立っていたのだ。彼は道のど真ん中に立ちこちらをじっと見ている。森の道とて往来はある。車を降りて近づいてみた。ゆっくりと間合いを詰めた。カモシカならば近づいても逃げずにこちらを観察するだろう。じぃっと立ちつくす様は冬ならば「カモシカの寒立ち」と呼ばれる。しかしそれは雌鹿だった。人家にほど近い森の住人は少しは人に慣れているのだろうか。ある程度近づくと彼女はすぐに西の森へ姿を消していった。さあっと細く長い脚で森へ向け飛翔したかのように見えた。

森の中では三頭の鹿が家族会議をしていた。

全く、あいつらいい気なもんだね。勝手にアスファルトの道路を敷いて困ったね。

でも今日の奴はクラクションも鳴らさないで止まってくれたのよ。

いろいろいるんだね。

そんな彼らの話声が聞こえた。自分が求めた敷地にも見つけた。黒く丸い糞、そう鹿が来たのだった。家の工事が始まってから今に至るまで鹿は見ていない。家の東の林まででその先には出るのを止めたのだろうか。だとしたら彼らのテリトリーを奪ってしまった。悪い事をしたと思うのだった。

緑の直線道路だった。物怖じもせずに一頭、立っていた。そこは鹿が往く道だったのだ。丹沢の山では増えすぎた鹿による害が増え山中が鹿柵フェンスばかりになってしまった。彼らはまた蛭を運んできた。丹沢よりは気温の低いこちらではどうだろう。幸いにフェンスも何もない。多少の不自由があるかもしれぬが共生が出来ているのだろうか。

鹿が日常に居る光景は自分には嬉しかった。妻も又素敵ね、と喜んだ。鹿往く道をたどり街へ向かった。森のカーブでタヌキが横切るのだった。轢かずによかった、と一安心だった。

あれほど重たく感じた体が何故か動くのだった。サレンダーは何か心躍るものによって体の外へ押し出されてしまったのだろうか。ならばよかった。明日はどうなるのだろう。それは明日朝の鳥のさえずりが教えてくれることだろう。

鹿往く道。そこは彼の行く道で自分は部外者。うまく共生できれば良い。これが日常の光景になったことが、嬉しい。