日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

夜の散歩道

一日を病院の待合室で過ごした。とても混んでいた。二科を受診しようとしたのだから時間がかかっても仕方がなかった。朝十時前に家を出て診察を終えたら十四時だった。外に出てホームセンターで培養土を買った。庭木を少しづつ植えようと考えていた。

帰宅したら疲れてしまった。遅い昼食を食べると眠くなる。今、自分は自らの体に正直にありたいと思っている。眠いのならばそうするだけだ。体が休みを欲しているのだ。しかしその眠気が体の疲れからなのか脳の活動低下によるものかは自分では判断が付きかねた。

ガン病棟で自分には夢が出来た。それはこの高原に住み新しい生活を始める事だった。抗癌剤放射線治療も、その先にはストレスのない新しい生活がある、そう信じて乗り切った。今こうして願いが叶って自分の中には何が残ったのだろうか・・。

あまり複雑な事を考える事は止めて、自然のサイクルに組み込まれたいと思ったのだった。ウグイスとカッコウが森で啼く。雲が目の高さにある。雲が晴れると峻険な山々が素晴らしい展望を見せる。森を歩けば冷気が周りを取り囲み自分は緑色になる。林を抜け出し水田を歩けば蛙の合唱だった。

何かが足りない。そう思うようになった。目標のその先まで考えていなかった。何故か疲れやすくなっているのはまだ片付けなければならない事柄が残っている事、それに今後の生活はこれからどうなっていくのだろうかという漠とした不安。やりたいことはあるが手が付かないというもどかしさ。すべてが重なり合っているのだと知っている。この地で自分はもっとクリエイティブになりたいと思っていたが、そんな気配は見えてこない。…待つしかないか、と思うのだった。

目が覚めたらもう十八時が近かった。ああ、今日一日は何だったのだろうという後悔が苦みを伴って体の芯に在った。このままでは自分は腐ってしまう。脳髄が解けて流れていく。そう思うとようやく自らに鞭が当たった。着替えてノルディックポールを手に装着した。高原を歩き汗を流すのだ。あたりには高層建築やビルディングなど一切ない。太陽はただ北アルプスの方向へ沈んでいくだけで残照が南アルプスにあたるだけだった。日が沈むのを追うように家に出た。今日は急な坂道を上がり標高を百メートル上げてみた。そこはアカマツとカラマツ、ブナとナラの森だった。高原鉄道の単線の踏切を横断して僕は森を進んだ。

とうに日は暮れて手にして懐中電灯をつけた。こちらの存在を示さなければ車に轢かれても不思議がない、それほどの漆黒の森だった。今日は鹿にもタヌキにも会えなかった。彼らの夕食の時間帯だったのかもしれない。いつしか霧が流れていた。そのことに気づいたのは自分の服が濡れていたからだった。霧の森の美しさをどう表現したらよいのか、自分には適当な形容詞も浮かばない。粒子が闇の中を抗って流れている。霧の粒子の反乱だろうかと思うのだった。

登り道でかいた汗など冷気で消えていた。遥か彼方が明るく輝いたと思ったらそれは滲んだ二つの球となった。車だった。

森から里へと下りて行った。里とはいえ民家は多くはない。暗い緞帳の中で明るく光が付いているならばそこには人の営為があるのだった。何故か嬉しくなるが、そんな光は闇の向こうだった。灯りが増えてきた。そこは駅だった。海抜900メートル。長閑な駅だが大都会からの特急列車はここに停車する。駅を過ぎる時、そんな列車が入線してきた。この駅までは長い登り坂が続くので列車は思いのほか速い速度で入線してきた。ホームに滑り込む列車を見て何故嬉しかったのだろう。去っていく列車を見るのはなぜ寂しいのだろう。

小さくて小綺麗な駅からは十人程度が降りて来た。駅前の通りを誰もが何処かに消えて行った。ああ、誰もが自分の道を進んでいる。目下のところ健康である自分は何の不安を抱えているのだろうか。

再び坂を上って家路についた。扉を開けると妻と犬が居た。がむしゃらに歩いた夜の散歩道。短時間で自分の感情は乱高下して、揺れた。そんな時間は一体、何だったのだろう。

森を抜け里に出た。高原の駅に列車がやってくる。何故か嬉しかったが駅を出た人たちはまた何処かへ去っていくのだった。