日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

異邦人

作家北杜夫氏。彼を有名にした一冊「ドクトルマンボウ航海記」は自分を読書の世界にいざなってくれた。彼はマグロ調査船である600トンの船に船医として乗り込み東シナ海からインド洋、地中海そして大西洋、北海までの船旅に出る。寄港地で異文化に触れ驚く様は今も色褪せない。青春の鮮やかさに加えユーモアに満ち溢れた作品は自分にはとても大切な一冊だ。ドイツ文学とりわけ、トーマス・マンに惹かれていた彼にとり北ヨーロッパは憧れだったのだろう。ドーバー海峡を抜け憧れのドイツはハンブルグへの寄港。時間を使い彼はマンの生誕地リューベックへ赴き感慨にふける。そんな書の冒頭は面白い。東京の桟橋を出航した船はまずは房総の館山に一晩停泊する。マンボウ氏はここで下船し東京に戻り新宿のパチンコ屋に入る。その時彼はこう思ったと書いている。「まるで密入国したような、へんにくすぐったい様な気持がしてくる」と。

人だらけの街横浜から海抜九百メートルの高原に転居した。残された健康年齢をストレスのない場所で過ごしたいという思いだった。スローライフという言葉が先行するがそれに近い時間の過ごし方に憧れた。居を変えてからわずかに二週間だった。

所要があり横浜にそして東京に出た。一人住まいの親の顔を見て、スタジオに入りバンドのリハーサル、そんな予定だった。電車に乗る前に思った。果たして今の僕の目にはこれらの街並みがどのように見えるのかと。

八王子駅でまず人の多さに圧倒された。電車から吐き出された人々はホームの階段に殺到し長いキューを作っていた。見慣れた横浜線の駅ではバスに乗り込む列が伸び駅の階段に達していた。いつもの事だったと思う。駆け込んできた女性が手にしていた高島屋の紙袋も今や遠いものとなった。しかし僕たちは、生活のスタートアップで今こそ忙しいがそれが収まるとすべてがまわるだろう、と感じている。その紙袋がなくとも生活に支障はないのだ。京浜東北線はごくごく当たり前に多摩川を渡った。目もくらむような高層ビルが近づくともう都心だった。

不思議だった。僕は違和感を感じるばかりだろうと思っていた。しかし雑踏の中を人にあたらずに歩く術も、どうやって空気を吸ったら良いのかも、すべてが記憶の中にあった。思いだすのではなく体が動くのだった。五十年以上住んでいたのだから街並みにはなんの違和感もあろうはずもなかった。自分の90%は「都会人」だった。しかし鉄道の駅前は人だかりで交通は渋滞していた。集合住宅を見るのも久しぶりだった。地方ではそれは不要だった。そもそも人は多くない。多ければ横に広がればよい。摩天楼のように上に伸びて、天罰が下らぬか、と思うのだった。

秋葉原でのバンドのリハの前にとある電子パーツを買いに隣の秋葉原に行った。いつか外国人も賑わうサブカルの街になった。通りを抜けてパーツ店へ。何でもすぐに揃うのだ。

都会は点で見れば。便利でありがたい。その点がまた無数にありその色合いはそれぞれ異なる。しかし点の中は密度はどれもが高く「おしくら饅頭」の様だ。更に点と点を線で結ぼうとするとすべてが面倒になる。線は至るところで動脈硬化を起こし、蜘蛛の糸のように絡み合っている。僕はそこを離れたくて仕方が無かったのだ。そういうことかと納得する。

結局僕は思う。選んだ道は正しいのだと。新宿を夜九時に出る最終の列車で二時間、自分の住む地の駅で降りたのは僅か四名だった。そんな高原の駅は爽やかで冷たい空気に満たされ、星は落ちんばかりに冷たく光っていた。そこに僕は溶け込んでいくのを感じた。深い安堵だった。それが僕を喜ばせてくれた。

次回都会に出ることがあれば今日よりもより強く感じるだろう。密入国ではなくもう自分は異邦人であると。

この高原に住もうと決めた。今度都会を訪れる時は「異邦人」になっているだろう。