鉄道の中での暇つぶし。学生時代はウォークマン、いまならスマホで聞く音楽か。社会人なりたての頃は漫画雑誌。いつかそれは新聞になりビジネス書や自己啓発書になった。
しかしやはり音楽を聞くのが楽しい。スマホにメモリーカードを増設すればいくらでも好きな曲が聞ける。サブスクはどうも自分にはピンとこない。好きな音楽は自分で探したい。いやそれもつまらぬこだわりだろう。
JRの電車には鉄道ファン以外には意味不明な記号がついている。モハとかクハ。サハもあればクモハもある。その後に車両形式が続く。さてこの呪文のようなカタカナなど誰も気にしない。
モハはモーターの付いた車両。クハは制御台、つまり運転台のついた車両、サハはなにもない付随車両となる。クモハは、運転台とモーターが乗った車両。動物に例えるならモハは心臓と筋肉、クハは脳、サハは脂肪と言えまいか。
車両の中で音楽を楽しむのならモハを選ぶべきではない。たまたま乗った車両がモハだった。モーターの唸りで音楽どころではない。ロックやソウルを聞くならまだしも、グレン・グールドのバッハを聞いていた。打鍵が明瞭で強い彼のピアノもしばし聞こえなくなった。仕方なくサハやクハを探して6両編成を歩いた。
分水嶺が近くなり峠のトンネルに向けてモーターは全能力を発揮していた。そんな路線を走る車両なのでモーター車が多いのか三両、六十メートル歩けどモハばかりだった。ようやく辿り着いたらクハだった。席に座るとグールドの奏でるフーガが踊るように耳に届いた。
中学生の自分なら車両編成のうち何両がモーター車でそれがどこに組み込まれているかなどそらで覚えていただろう。モハを避けることは容易だったろう。しかし車両は代替わりしてこちらの脳も衰えた。出たとこ勝負となった。
クハ210系のシートで思う。昔通りには行かなくなるのだ。それを受け止める。モハに乗ったなら音楽を諦めるかクハかサハに乗れば良い。これを処世術と言うならばなんともさみしい話でもあるが。