日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

待ちわびたよ

忠犬ハチ公を知ったのは幼稚園の時だっただろうか。渋谷という街に銅像があるという。そしてハチ公にまつわる話を聞いた時に、自分の犬に対する思慕は高まった。以来、ずっと犬が好きだ。当時東京都大田区に住んでいた叔母の家に何故泊まりに行ったのかは覚えていないのだが、叔母に頼んで渋谷のハチ公を見に行った。アオガエルの様な電車が記憶にあるのでそれは東急池上線だったかもしれない。五反田で乗り換えた。銅像は思ったよりも小さかったが、これがあの犬か、と嬉しかった。渋谷にキャンパスのある大学に進んだ。ハチ公は飲み会の集合場所となり馴染となった。七年間亡くなった飼い主の帰宅をこの駅で待ち続けたという。なんともいじらしい。ハチ公前での待ち合わせなどお上りさんのようではあるが僕はそこが好きだった。

ご近所さんの奥様も犬好きだった。犬を連れて転居の挨拶に行くとあら可愛いと自分で抱き上げた。三匹のコーギーを飼い続けたと言われた。三匹目はリードもせずに敷地内に放し飼いにしていたがある冬の日に行方不明になったという。多分ご主人の車を追いかけたのだろうねぇ、数日後家のすぐ下の雪の畑の中で息絶えていたのよ。奥様はとても寂しそうに言われた。

保護犬出身の我が家の犬もようやくすこしだけ留守番が出来るようになった。しかしやはり分離不安はぬぐえぬか、飼い主を探し回るようだ。家の中を色々ひっくり返ったりしている。何よりも不安からか、粗相をするのだった。それならば、留守番時にはとマナーベルトにオムツを重ねた。悪戯されてもダメージが無いように室内を見回してから外出する。

高原の家もこの数日は流石に暑かった。どうしても妻と二人で外出する用事があり彼を家に置いておくことにした。しかし風通しをと思い居間の硝子戸は開け網戸だけとしていた。

約一時間、用事を終えて帰宅して驚いた。我が家の玄関はウッドデッキにあるがそこにオムツを履いた犬が微動だにせず座っているのだった。ハチ公のようだった。デッキの階段を三段降りればもう庭でどこにでもいけるのにそこでただ座り遠くを見ていた。慌てて車を止めて抱き上げた。よくここで待っていてくれたなと。彼には僕たちが必ず帰ってくるとわかっていたのか、抱き上げるとひしと自分に抱き着いてきた。

どうやって出たのか?網戸を見て分かった。少しずれて隙間があった。網に爪を引っかけて動かしたのだった。なかなかお前、やるなぁと感心する訳にもいかなかった。ご近所さんのコーギーと同じ運命をたどってもおかしくなかった。

テレビを付けたら渋谷の街並みが写っていた。インバウンドを追いかける番組だった。彼らが東京で観たい風景が渋谷駅前のスクランブル交差点だという。学校の帰りにそこを渡ってセンター街の奥から松濤を抜けて下北沢の友人のアパートまでそぞろ歩きしていた自分にしてみれば、どうという事もない風景だった。スクランブル交差点を前に、犬がいる。忠犬ハチ公銅像になった今でもご主人を待っている。渋谷の住人はそんなハチに優しかったという。この地の住人も善良な方たちばかりだがそんな話ではない。

僕はデッキの上に忠犬ハチ公は二度と見たくない。そうさせたのは自分の誤り。もう二度とそうならないようにするよ、そう待ちわびた君に話しかけた。

普段は走り回るのが好きなのだろう。玄関扉の前で大人しく座ってみた姿を見て反省があった。