日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

旅の途中

高原の駅で各駅停車を降りた。そこは終着駅だった。僕は北東からの上り列車に乗っていた。その駅は新宿まで続く幹線路線の駅で、特急も止まる。そして信濃へ向かう数両編成の高原列車の始発駅でもある。水が良いのでウィスキー醸造工場がある。天然水とよばれる何社かの飲料の採取地でもある。山へ向かえば別荘地帯になりそこにはリゾート施設がある。そんな場所への送迎バスが駅にやってくる。登山客・ゴルフ客・家族連れと様々だ。

ホームにはサイクリスト姿の男性が居た。リフトを使わずに階段を登って行った。通路で追いついた。

何処を走るのですか?と聞くと、ごめんなさい日本語が分かりませんと困り顔だった。綺麗な英語だった。確かに彼は東南アジアから来たであろう顔立ちだった。マレーシアから来たという。輪行袋に入った小さな自転車は小径車だった。

ブロンプトン

そう聞くと彼は即座に僕が何者かを理解したようだった。そこからの話は早かった。

馴れた調子で彼は自転車を展開した。折り畳み自転車は数あれど精度が高く造りが良い、そうなるとこのブランド一択になると聞く。そう自転車の本で読んだ。実際それは他の自転車と値段が一桁違う。リアのキャリアを裏返すとそこにキャスターが付いている、それも驚いた。内臓ギアに外部ギアで六段変速。ギア比は如何なるものか?いろいろ好奇心が湧いてくる。

僕はマレーシアの若者に矢継ぎ早に色々話しかけた。彼はひと月の休暇を使い日本中をこの一台の自転車と鉄道で旅をすると言うのだった。飛騨高山から安房峠を越えてきたというのだから驚いた。宿はいきあたりばったりで何とか見つかるというのだった。

彼が背負うバックパックは大きくない。それをブロンプトンに括り付けるとそれがすべての旅姿だった。これで気の向くままに走るのか。なんとも素敵な話だと思った。それは僕が求めている旅の姿だった。彼にとり日本語が通じる通じないは問題ではないのだろう。スマホの地図と替えチューブにハンドポンプがあればどこへでも行けるのだ。

僕にひと月があればそんな自由な旅に出られるだろうか。家族と犬がいる。そうもいかない。では彼らが居なければ僕は自由なのか。それも違う。彼らと自分は支えあっている。気負いなき旅人の姿を見て、自由とは、旅とは何なのだろうか考える。

罹患した病名と考えられる平均余命を聴いた時、こう感じたではないか。目の前の世界は現実だろうか、そうならばそれは人生のお釣りなのだ。お釣りならば自由に楽しもう、と。そして自分は高原に転居し少しづつ生活を重ねていく。こうして生きていることが旅ではないか。そう思うと自分は求めている通りに進んでいるのだ。

マレーシアの旅人はこれから坂を下り谷底の国道沿いにあるウィスキー醸造工場に行くという。そのブランドはかの地でもジャパニーズウィスキーとして有名という。僕は話しかけた。

よかったらウチに寄って行かないか。歩いて十分かからないよ。コーヒーでもいかが、と。

しかし彼はまだ先があるから、と固辞した。残念だったがまた何処かで会う事もあるかもしれない。僕は彼の国の事をほとんど知らない。二度しか行った事がない。僅かな知識と薄らいだ記憶から話題を作ろうとした。しかし彼は旅人なのだ。そう思えば話題はいくらでもあった。

また、会えるだろうか。気負いない旅人と、旅のような生活を重ねている自分。そんな車輪の輪がたまたま重なりすれ違っただけに過ぎない。グッド・ラック!ハヴ・ア・グレイト・ジャーニー! それで充分だった。共に、旅の途中なのだ。

驚くほどコンパクトになる。目を見張った。泥除けのついた鉄のホリゾンタルフレームの自転車に拘っているが、こんな気軽な姿もあるだろう。良い旅を。そう別れた。