日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

冷えたワイン

青空の下で飲むビール。美味いなぁ、と思ったのはテキサスだっただろうか。ドライカウンティが多いテキサス州だが自分が良く行った街は酒が許されていた。空港から仕事先には当然レンタカーを借りる事になる。早く仕事が終わったならば少し早い夕方にテックス・メックスでも食べるだろう。ファヒータにタコス、ブリトーワカモレ、チリコンカン。流石にメキシコと国境を接しているだけある。テキサス風メキシコ料理は実に楽しめる。そこに欠かせぬのはビールだ。乾いた空気、青い空。ビールはコロナでなくとも、ミラーやクアーズバドワイザーでも十分美味しい。サムアダムスなどは置いていないのだ。むしろ軽いそれらのビールが似合うだろう。それを手にしてトウモロコシの料理を食べる。店のラジオからはテキサスブルースが流れてくる。SR・ヴォーンやジョニー・ウィンターでなくとも良い。地元のミュージシャンが地元のFMで演奏しているのだ。

こんな中でビールは進みナチョ・チップスもお替りしてしまう。仕事の悪い成果もいつか消えてしまうのだった。

フランスでは昼食時のワインが欠かせない。勤務していた会社のレストランにもミニボトルがあるくらいだった。来客があり小さなビストロに行く。日差しがあれは誰もがテラス席を選ぶ。魚は白、肉は赤、それは嘘なのだろうか。実際彼らは気にしていない。魚に赤もある。自分が思うものが正しいのだろう。そうは言うが彼らのチョイスは当を得ている。フランスのムッシュ・マダムたるもの自分の中でワインの審美眼が出来上がっている、そんなものなのだろうと思った。

明るくて乾燥した陽射しの下、おしゃべりしながら傾けるワインもこれまた格別に美味しい。バゲットで皿に残ったソースを拭いとる。そしてチーズがある。彼らは良いにして、自分の午後の仕事はどうなるのだろうか。これまた実に罪作りなひと時だった。

引っ越した森の家には小さなウッドデッキを作った。高原の地は朝晩は冷たい空気に支配されるが、昼になると日差しが強くやや汗ばんでしまう。友人が来た。仕事帰りに立ち寄ってくれたのだ。家にはチリワインの白が冷えていた。安価で申し訳ないと思いながらそれを開けた。久しぶりの再会に尽きぬ話、それにチーズやオリーブ、レーズン、ナッツが肴になった。

この季節は太陽光の角度が高くデッキには直接日が射さない。それが良かったのか、涼しくて乾いた空気の下、二人のグラスは進んだ。ウグイスとホトトギスが長閑に啼く森を見ていると時の経過を忘れる。二人で一本開けてしまった。危うく彼は帰りの電車を逃しそうになった。

安酒でも良いのだった。気候、風景、友、それらが加わると果てがない。全く困ったものだ。これが僕がこの地に求めていた豊かな時間だったのだろうか。わからない。しかし楽しい。そう、それでよい。僕は一時の快楽主義者なのだ。そう信じれば肩の荷は降りる。すると良い事ばかりが来るに違いない。そんな風に書く事は実は不安への裏返しかもしれない。すると僕はまた飲むだろう。冷たく冷やしたワインを。いっとき楽しければ良いのだと。

気候、鳥のさえずり、友の笑顔、素敵な音楽。すると安いワインも進む。一時幸せであれば良い、そう思うようになった。