日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

生産性の敵

ネットで面白い記事を読んだ。最近の若者が飲み会などで酒を飲まないのはなぜ、という話題を深掘りしたものだった。

自分の頃はひどい話ではあるが「♪今日もお酒が飲めるのは〇〇さんのお陰です!美味しいお酒ありがとう、それ一気、一気、一気」という歌まであり、お陰で18歳の大学一年生は酩酊のうえ吐きまくる。渋谷センター街で、歌舞伎町で。自分は町田の路地裏で小田急相模原駅前通りで。

そんな光景は今はあるのだろうか。会社の飲み会というのも「まぁまぁまぁ、お疲れ様。まずは生、来たよ。ほれー!乾杯」、そんな風景は世にいうおじさんまでだろう。今は乾杯からソフトドリンクの人も多いしだからと嫌味を言われることもないに違いない。世の会社の研修でおじさんたちはパワハラ、セクハラ、アルハラ、それに、ニオハラは避けるようにと強く教育される。少なくとも前三者についてはまだ甘いかもしれないが社会は大きく変わったと思いたい。

かく言う自分は酒がないと一日が終わらない口だ。一日の終わりはまずは風呂。そして、ビール。この流れに何らかの妨げが入るととても苛立つ。よって時には夕食を作りながら飲み始めてしまうから危ないだろう。しかし酒が食事を引き立てるのは疑うべきもないことで、オールラウンダーのビールは別として、フレンチもイタリアンもワインがないと成り立たない。お刺身には日本酒と相場は決まっている。中華には紹興酒か白酒が良い組み合わせだ。料理とのマリアージュとはよくぞ言ったものだ、と感心する。テレビで流れる「孤独のグルメ」の主人公はお酒が飲めない設定だが、あれで彼が酒飲みだったらもっと沢山のメニューを紹介せざるを得なくなる、だからそういう設定としたのか、と深読みしてしまう。しかしアセトアルデヒドの分解酵素が弱い方も一定数居るのは事実なのでアルハラ防止が浸透するのは良いと思う。

ネットの情報では、若い人のすべてがお酒嫌いなわけではない。飲めないわけではない。しかし彼らは仕事が終わった時間は自らのSNSでの人との繋がりや情報発信がしたい。アルコールをたくさん摂るとSNSに対しての集中力が落ちる。生産性が落ちるから酒は飲んでも乾杯の一杯まで。そんなことが書かれていた。メーカーから見て酒類の売上が低下しているのは第3のビールでも値上げでもない、SNSだ、という結論は慧眼に思えた。

その通りだ。加齢のせいか自分もある程度以上アルコールを摂るとまず眠くなり、取るに足らぬ雑文でもそれを書くことは愚か、考え事も読書も不可能になる。大切な夕食後から就寝までの数時間を無駄にしてしまう。これは勿体ないなと自分も普段から考えているのだった。しかし食後にウイスキーをちびちび舐める時間はとても心やすぐひとときでもある。そんななか無理やり脳に鞭打って何らかの稿を纏めても翌日にほぼ書き直すことになる。

さて困った。酒の楽しみか生産性なのか。どちらを取るのか。と言いながら今も半ば酩酊でキーボードに向かっているのでミスタイプばかりだ。

どうやら目下の軍配は見えたようだ。まあ生産性が問われる事をやっているわけでもない。水が低い方に流れるように自分も楽な方に流れてしまう。自然の摂理は時として憎らしい。肝臓と生活習慣病を気にして少しづつ良い折衷点を探していくのだろうか。何にせよ敵はいないほうが良いに決まっているのだから。

琥珀色の瓶。一つは空っぽに近い。日々少しづつ、ここまで飲んだのかと思う。これで良いのかと言いながらちびりちびり。結局何も出来ない一日だったと思う日々。彼らが、悪いのだろうか?

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