日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

幸せの小道具

大学生の頃、憧れの女性が居た。少しだけアンニュイな空気、そんな女性だった。キャンパスですれ違うと軽いめまいを覚えた。胸が高まるが口下手な自分は話しかけるのに勇気を必要とした。幸いに友人を介していつか仲良しグループが出来た。その中心に彼女は居た。その中で彼女自身は気負いなくいつも透明だった。

彼女は雑貨が好きだった。学校帰りに一緒に渋谷を歩くとパルコやハンズ、LOFTや無印良品の店に入っては雑貨を見るのだった。正直自分には興味が無かった。雑貨より彼女の近くにいるとドキドキする。その気持ちに惹かれていた。

雑貨にもいろいろあった。いずれもセンスの良さが問われるだろう。透明なガラス細工、いや、木の香りのする造形物。清潔な生成り、いや藍染めなのか。当時自分はそんな彼女が手に取る雑貨に対し無理に興味を持とうとしたが所詮それは叶わぬ話だった。

僕にはそんな雑貨を楽しむ余地が無かったのだろう。実用性が無いのだから。しかし置物や壁にかける小品など、確かにあると良いな。そう最近思うようになったのは仕事を辞め時間が出来たかもしれなかった。心の余裕こそが鍵のように思えた。そしてまたそれは自分に小さな幸せを運んできて来てくれると知った。

高原で木の家に住み始めた。外装こそ保護の塗料を塗ったが内装は壁紙も貼らぬ無垢板だけだった。今迄は全ては掛けていなかった絵や妻の作った額入りの刺繍などを改めて飾った。すると少しだけ時間が豊かになったように思われた。しかしセンスがないためめったやたらに釘を打っては抜いてしまった。この手のものはミニマムが良いのだろう。飾り立てたがる貧乏性には向いていないのだった。

週に一度の贅沢日。それは銭湯に行く日だ。森と田畑だけのこの高原には温泉がやたらに多い。市内に九カ所の温泉巡りは始まったばかりだった。都会の銭湯でも高原の温泉でも、必ず目にするものがある。代替はいくらもあるがそれを手にしたら嬉しいのだった。

そんな小さな桶を通販サイトで購入した。黄色い桶に薬の名前が印刷されている。銭湯や温泉好きならピンと来るだろう。頭痛・生理痛・歯痛の薬とあるが実際その箱をドラッグストアで見た事は無いのだった。細かい事を言えばこの桶には関東版と関西版があるらしい。デザインが微妙に違うのだろう。「ケロリン」という薬。名前だけは誰も知る、それを飲むとケロッと治るのだろうか。実態の見えない不思議さだった。製薬会社がなぜこの桶を銭湯や温泉に売り込んだのかは分からない。湯上りに服用するのだろうか。銭湯や温泉の桶をほぼ独占しているのだからなかなかやり手の営業マンだったのだろう。今は役員あたりになっているのではないか。

こんなくだらない買い物もなぜか幸せになる。届いた桶で我が家の風呂に入る。それは市の水道水をガスで沸かしただけなのに、あら不思議、ラジウム鉱泉になってしまうのだ。

幸せの小道具の大切さがようやくわかったように思う。あの時彼女はすでに自分が幸せになるための手段を知っていた、そういう事だろう。今でも時折交流がある。雑貨屋は今でも好きなようでかつセンスのいい小物をもっている。良かったな。余裕があるのだな、と思うのだった。

こちらはセンスの良い小道具ではないが・・。この薬をドラッグストアで見たことはないのだが、売っていたら買うだろう。それほどにこの四文字は印象深い。薬ならぬ桶は自分達の入浴ライフを楽しくしてくれる幸せの小道具だった。