日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

我ここに在り

家内と温泉に行った。温泉と言っても自宅から車で10分。自宅そばの国道沿いの銭湯だった。しかし一応源泉から湯を引き揚げているという。

首都圏に住んでいる以上、遠出は苦行でしかない。待っているのは往路の渋滞。復路の大渋滞。高速道の逃げ道として選んだルートは山道で長くそれは疲れる。しかしどうあがいてもやはり人口の多い場所に近づくと渋滞する。関東平野東京湾を中心とした半径数十キロ。そんな狭いエリアに人が密集しすぎているのだ。ストレス発散の為の小旅行がかえってストレスを与えてくれるというアイロニカルな結果を生んでいる。

温泉旅行はストレスを解消するのによいだろうが、なにせそんな事なので妻との遠出は殆どしない。代わりに近場の温泉に行くという楽しみを最近覚えた。スーパー銭湯的なところもあれば昔懐かしい銭湯のような温泉もあるのだ。目を凝らせば、それは下町に、さもない通りに存在している。

新しい湯を発見しては妻と車に乗って出かける。その距離せいぜい30分以内。市内・隣市からは抜け出さない。またひとつ新しい湯があった。

500円という値段はまさに銭湯だった。追加200円でサウナがあるが予算的に市内の温泉巡りは500円程度が望ましい。ここは500円とした。それでもぬるめの黒いお湯、炭酸泉といろいろな湯舟があるのだった。

何故だろう、脱衣して風呂場にはいったらでかいくしゃみが出てしまった。「加齢とともにくしゃみが大きくなるのはそれは恥ずかしさを感じなくなるから」、そうNHKでチコちゃんが言っていた。年をとり緊張感を失った脳が恥ずかしさを制御する力を失って、こうなるという話だった。自分に至ってはくしゃみどころかオナラも制御が効かなくなってきた。そもそも、それを止めようという発想を失っている。さすがに発砲後は「しまった!」と思う気持ちは残っている。

幸いに放屁こそなかったが、大きなくしゃみ。広い浴室で、それは勝利の咆哮のように、いくさの時の声の如く響いたに違いない。しかし風呂場のオジサンたちはこれまた無関心で湯につかり体を洗っているのだった。彼らにとっては余りにも日常的な音だったろう。出張先のアメリカで打ち合わせ中にくしゃみが出たことがある。すると彼らは「Bless You!」と即座に応えた。祝福してくれているわけでも神のご加護を願ってくれている訳でもなく、お大事に的なニュアンスだろう。くしゃみに即座に反応してくれる文化は素敵だと思った。しかしそれも度合いだろう。

風呂はリラックスした。数日前の登山による足の筋肉痛をほぐしたいという目的も達せられた。

帰りの車の中で妻は言うのだった。「あなた大きなくしゃみしたでしょ。」「え、聞こえた?」「半端なく大きいからね。ああ、あそこにいるのね、と居場所が分かったよ」たしかに銭湯の造りの通り、男女の浴室の壁は天井は筒抜けだった。さぞや響いた事ろう。

折角だから、このでかいくしゃみを何かに使えまいか考えた。まさに自分のくしゃみにより現在地を家内に伝えたわけだから、ある意味太古の戦時での狼煙のような役割を果たせぬだろうか。そう「我、ここに在り」というのが伝達する情報になる。最近の記憶力と思考力の低下具合から察すると、自分はほぼ確実に「自宅が分からずに徘徊する人」になる気がしている。その時に町中に響き渡るくしゃみを発砲することで今日の様に家内が自分の所在を見つけてくれないだろうか、などと考えてしまった。

全く馬鹿馬鹿しいことが頭に浮かんだのはきっとさきほどの温泉で血の巡りが良くなり脳が活性化したからかもしれない。温泉も考えものかもしれない。とりあえず当面はくしゃみもオナラも、控えたいところだ。

当日の温泉:横浜市神奈川区 鷲の湯(入浴500円、サウナ200円)

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当日の温泉:横浜市神奈川区 鷲の湯(入浴500円、サウナ200円)