日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

五百円の幸福

かつて馬込温泉という名の銭湯、いや、健康センターがあった。東京を出た東海道新幹線が大森で環状七号線を渡る直前に左手を見る。そこに建っていた。高架を走る新幹線からとりわけよく見えたのは低層住宅の続く中でその馬込温泉自体が中層ビルだったからだ。仕事で新幹線は頻繁に使った。その往復でいつも気になっていた。話の前後は記憶にないが、タレントのタモリ冠番組でその温泉でのロケを放送していた。なにやら演芸場があり、楽しそうに思えた。

当時品川区に住んでいた会社の先輩と何度か入浴しに行った。先輩も自分も大の温泉好きだった。湯は「黒い温泉」だった。湯もさることながらその上の階が面白かった。食堂と大広間、そして何故か舞台があった。そこで体を伸ばしていると、さて、腕や喉の覚えのある地元の方達だろうか、舞台に上がっては自慢の演芸を始めるのだった。日本舞踊もどき、浪曲…。湯上りでついでにビールも入っているのだろう、茹でタコのような親父さん・浴衣のお母さん達が好き勝手にやっていた。衣装まで持ち込み「♪来年の今月今夜のこの月を」と寛一・お宮、「♪赤城の山も今宵限り」と国定忠治までもが居たかもしれない。よっ、待ってました。と来るのだから。

先輩は喉が良く、やるぞ、と舞台に上がってカラオケだった。十八番の「小林旭熱き心に」だった。次は自分。音痴な自分はノリで上がったのだからすぐに「ニイチャーン、下手くそ―、頑張れー」と声がかかる始末だった。とんでもない「梅沢富美男・夢芝居」だった。ホウホウの態で舞台を降りたが楽しかった。何度か通った健康センターは庶民の娯楽の場だった。そんな夢の場所はいつしか無くなっていた。新幹線の窓から何度も探したが無駄だった。閉館し取り壊されていたのだ。

家内の縁者のお墓が大田区にある。墓参りの際に寺のそばに銭湯を発見した。それは二階建てほどのビルで狭い路地の向かいにあった。自転車で徒歩で多くの地元の方が入浴をしに来ているのだった。あれもしやこれは温泉か。くだんの馬込温泉といいい東京都大田区は黒い湯の出る温泉が多いと聞く。のぼせた顔で出てきたジャージ姿のお父さんに話しかけると、やはり湯は黒いという。「城南地区の温泉は皆黒い湯だよ。昔は海の底だったからね」そんな話だった。

4月末から5月初めにかけて日本は大型連休になる。しかし車で行楽に行こうとするならば果てしない渋滞を覚悟しなくてはならぬ。出かけた先も人と行列だけだ。これが黄金週間と呼ばれる連休の哀しき実態だろう。馬鹿馬鹿しくて遠出などできない。せめて妻とどこか保養に行けぬかと考え、お墓参りの度に見ていたここが頭に浮かんだ。

暖簾をくぐると銭湯だった。牛乳の冷蔵庫が全てを物語っている。しかし湯は天然温泉。半露天の黒い湯。室内には電気風呂。お馴染みケロリンの黄色いオケもある。なんともレトロでくつろげる湯だった。二人で千円と庶民的。二階はやはり食堂に広間。奥まで行かずに舞台があるかは確認しなかった。そこは懐かしい馬込温泉のような雰囲気が漂っていた。

温泉かと気安く考えてタオル一本で来た。しかしここは温泉付きの銭湯だった。浴室に入りそれに気づき服を着直して番台で30円のシャンプー小瓶を買った。頭も体も泡がたてばそれでよい。しかし妻はどうするのか気になった。

湯上りの火照った顔の二人だった。「とても気持ちいい、疲れが取れた。黒い湯はぬるめで長く入れるね」と言うのを見て、嬉しく何か善業をしたように思えた。冷たい牛乳に手を出そうかと思ったが、ここからあと車で20分、帰宅後のビールが待ち遠しい。それはやめておいた。

- 何も持っていない私を見て、隣の小母さんがシャンプー一式貸してくれたのよ。やっぱりここは下町ね。

心配は杞憂だった。下町の人情に触れあえたのだろう。かつての海底のミネラルに包まれた事になるのだろうか。サンダル履きでやってくる地元の人々は嬉しそうだし、湯上りの男女は皆さん布袋様のような笑顔だった。

手頃にいつでも味わえ下町人情が付録でついてくる。そんな小さなビル、それは近場に在る「五百円の幸福」だった。

東京都大田区池上・桜館。七年以上もその存在は知っていたが初めて行けた。馬込温泉無き今となっては気楽に味わえる黒い湯だ。車は品川ナンバーばかりでもなく多摩川の向こう、川崎や横浜ナンバーもある。二階は怖くて足を踏み入れていない。次回あたりだろうか。

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