日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

使わなかった輪行袋

山歩き会の会合の為に港区高輪のアウトドア店に行った。一階がアウトドアショップで地下に同店が経営するナチュラル・ダイニングカフェがある。一階で山道具などを見て気分を高め階下のダイニングでゆっくりと山の計画を練るのだった。

折角アウトドアの計画に行くのだからそこへの往来も愉しもう、と自分は自転車で行くことにした。横浜からその地までは片道20キロ程度だろう。自転車ならあっという間だった。しかし国道一号線を走るのは出来れば避けたかった。交通量が半端ない。自転車レーンもほとんどなくサイクリストはいつも緊張を強いられる。充分な幅をもって追い越していく車もあればぎりぎり10センチ程度を横を追い越す車もある。後者のドライバはきっと思うのだろう。邪魔だな、自転車は。と。

環状七号線に合流するまでは国道一号線を走ったがそこからは古い街道を思わせる住宅地の道を選んだ。活きている商店街だった。総菜や、小さな食料品店、蕎麦屋、銭湯。頑張れよ!と言いたくなるような道が続いた。

会合で山の予定日も決めた。行きたい山の候補もいくつか出た。紅葉シーズンに引っかけるのか、富士山を見に行くのか。テーマはいくつもありそうだった。山登りよりも下山後の温泉とビールが好きな男女四人組だから、下山したらどこで飲めるのか?という話題になるのも面白かった。

高輪の駅は全ての新幹線も停車するようになり街は再開発が進み高輪口も港南口も大きく変わった。上品なナチュラルダイニングは早々に辞して会社員で賑わう港南口の居酒屋に席を移した。スーツにビジネス鞄。かつての自分がそこに居た。店内の騒々しさも満ち溢れる煙草の煙も当時は気にならなかったのだろう。それよりも仕事の愚痴が重要だった。遠くなった日々だなと思うのだった。

煙草の煙が余りに不快ですぐに静かなカフェに河岸を変えた。こちらは落ち着いていた。いつか騒々しい場所が不愉快になってきた。メンバー皆がそうだった。もうそんな年齢だった。

自転車は輪行袋に入れて電車利用で自宅まで帰るつもりだった。しかし山の予定も決まり楽しいメンツと愉快な一時を過ごし、自分の心は軽かった。このまま輪行するのも勿体ないなと思った。まだ今日の自分は走れると思った。一足早く失礼し今度は国道十五号線を選んだ。行けるところまで行ってみようと。

旧東海道から国道に合流した。ここからは箱根駅伝のルートだった。どういう訳か夜の道は嘘のように空いていた。普段は車がひっきりなしだがどうしたのだろう。追い抜かれる不安もなく足はすいすいと回りタイヤは路面にねばりつくようにグリップし、思いのほか進んだ。もう秋の風だった。夜風に汗をかくこともなく、勝手知ったる道をただただ走った。赤信号に引っかかりそうになると速度を調整してうまくそれを避ける事も出来た。

昼間は忙しそうな人間の営みがすべて静まり、夜の国道はまったく別の世界だった。数えきれぬほど車で走った国道が今晩初めて見る光景に思えたのも不思議だった。年齢を経ると同じ風景を見ても感じ方が異なるのか、あるいは街に元気がなくなったのか。それもわからない。多摩川の土手に出て対岸に川崎の街明かりが見えた。不夜城の如く明るいがなぜかそれはぼんぼりの様に滲んでいる。夜空はいつか濃くなっていた。雨でも来るのだろうか。いや違う。多摩川の水面に川崎の明かりが反射して、それが揺れているのだった。

輪行袋を使わなくてよかった。自分にもまだこれだけの力が残っているのだから。

多摩川まで戻ってきた。人の少ない京浜国道を快調に走った。

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