日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

黒磯から宇都宮へ、時間と空間を走りつなぐサイクリング

サイクリングをしていると、走ったルートを繋ぎたくなるという思いを抑えられなくなる。細切れな線よりもそれは一本にしたい。当然長く伸ばしたくなる。地図上のその一本線が延びると嬉しくなる。これではきりが無い。

北は宇都宮まで自宅から一筆書きが出来ていた。小さな日帰りサイクリングばかりだが、積み上げるとそれなりの距離だった。それを今度は栃木県最北端、黒磯迄足跡を伸ばそうと考える。
 
那須の黒磯。記憶の中での家族旅行といえば幼稚園の頃に行った軽井沢、小学生の頃に行った那須。特に那須は鉄道好きと言う自分の趣味が形成されてから最初の旅で、初めての東北本線と言うのも興味津々だった。父親がアレンジした那須旅行は上野から急行「ばんだい」に乗り黒磯で下車、那須湯本の温泉に行くというものだった。茶臼岳ロープウェイあたりには乗ったかもしれない。高度成長期のサラリーマンだった父はわざわざ家族のために時間をとって那須の旅行を手配してくれたのだろう。今や歩行も出来なくなり施設に入っているそんな父のことを思えば泣けてくる。しかし自分は今を生きている。ならばその黒磯に行って懐かしい時を感じれば良いでは無いか。
 
宇都宮からの線が黒磯まで伸びるか。黒磯の直ぐ先はもう、福島だ。みちのく。いつの間にかみちのくの玄関まで自転車で行くのか。松尾芭蕉のようではないか!
 
極めて個人的な感情に支配されたそんなサイクリング計画だが、前々職の会社の友人がそんな計画に乗ってくれた。歴史好きの友は旧奥州街道を一部でも自転車で走る事に興味を示し、二人ともゴールの宇都宮で餃子とビール、そんな風に決まった。友人はクラシカルなイタリアンロードバイクにこだわるサイクリスト。自分のクルマはフランス指向。友人はイタリアの工房の作った古いフレームを入手して当時モノののパーツで愛車をくみ上げている。自分は古いフランスの小旅行用自転車のイメージに現代パーツを一部取り入れて作った車。とても大雑把に言ってしまえば、細身の鉄のホリゾンタルフレームに、変速機はWレバー。ステムはクイルでブレーキワイヤー後だし、そこを守った自転車が2人の趣味の共通項だ。かたやカンパのクイック、かたやサンプレのクイック。するとブレーキはなに?などと余りにもオタクな話題になってしまう。興味の無い人が見ればただの古風な自転車にしか見えまい。
 
そんな自転車趣味ではオールドタイマーの二人が黒磯駅に降り立った。
 
黒磯はかつては那須観光の玄関だった。しかし新幹線が黒磯ではなく那須塩原を駅に選んだお陰か、黒磯はまるで時間の止まった街のようだった。目の前の高架線を新幹線がビュンビュン通り過ぎる駅前の古い和菓子屋の作りが立派なので立ち寄ると、「まあ暑い中遠路ご苦労様です。麦茶でも飲んでって下さい」と来た。古い商家は風通しも良く冷房要らずだ。早速温泉饅頭と栗饅頭を頼み美味しい麦茶を頂く。「新幹線が止まらなかったからこの街だけ旧くてね」と言われるとおり、一角はエアポケットのような空間だった。しかし、古い家並みとともに素朴なもてなしも残ったようだ。それは旅人には嬉しい。
 
出足からゆっくりペースのサイクリング。宇都宮までは幹線国道である4号線を走れば短距離だがそれは味気ない、南側の那珂川沿いで走ってみよう。水を満々と満たした豊かな水田の横を通り、堆肥の香りのする畑を抜けると、雑木林の中の一本道。ニイニイゼミの声が響く道をゆっくりと走るとたちまちサイクリングの魔法が自分を包む。ああ、空気には色があるな。林の中の空気は緑色だ。味はミント。そんな中風を切って走るのだ。何処までも行けそうに思える。古い寺社に呼び止められる。すると道端で野良仕事をされていたお婆さんは「ここは昔の奥州街道。どこからおいでなすった? ご苦労様だね。お茶でものんでけや」。静かな木立の境内に居ると、果たして今が21世紀なのだろうかとボーっとしてくる。再び走り出す。セミの声に包まれる。これ以上の贅沢は、ちょっと思いつかない。

水田地帯を縫うように走る。水田に導かれる水路は、時に川の水門から、時にはポンプアップされた立体水路から勢いよく流れている。何気なく食べるているお米も、こんな清冽な水で作られ手を掛けて作れていることを知る。何という事だろう。

那珂川を渡る。豊かな水量の中に鮎の釣り師がポツポツといる。日本のどの川ででもお馴染みになってしまった護岸工事。それをしていない川は柔らかなカーブを描き、瀬の横を流れる水流は早い。この素朴な風景は、自然の川がそのまま残っているからだった。

約25キロほど走った大田原市・黒羽田町で昼食。地元の人でにぎわう蕎麦屋だった。那須与一記念館のある道の駅で一服、歴史好きな友は楽しめたようだ。今度は宇都宮に向けて舵を切り直す。ここからは那珂川の支流が作る幾つもの河岸段丘を何度も越えていく事になる。平坦路だったこれまでからはうって変る。途中の蛇尾川には木製欄干の汗子橋という冠水橋(沈下橋)がある。川が増水したら流されるのではなく流れに埋まる前提の橋だった。これが自分の目的でもあった。

道標もない田畑の中の路をいったりきたり。ナビ代わりのスマホも画面は小さく使いづらい。何とかそれを見つけ出す。終始清流を渡り、流れに沿って走った。

そこから宇都宮までの道は迷いまくった。紙の地図を持たずに、スマホのナビに頼ったのが失敗だった。スマホには地形図をダウンロードしてはいるが、あの画面での俯瞰は想像もしずらい。何か印刷すべきだった。個人的にはサイクリングに一番向いているのは国土地理院5万分の1図だと思う。等高線の表現力もある程度しっかりしている。当該エリア分を数枚持って走るのが一番良いのだろう。何度か農作業の方に道を伺う。人によって言われるルートが違う。多少遠回りなのか、きついけど短いのか、つまりどこからでも行けるのだろう。

丘陵地を抜けて田んぼの中の路へ。再びルートが読めなくなった。話しかけた若い方は親切にもわかりやすい道迄誘導してくれた。「これで国道4号線までは一本道ですよ」素朴な栃木の訛りが耳に優しい。

深く安堵した。

頭の中の方向感覚、読図への自信、すべてが崩壊してしまった。スマホで全てのことを済ますのは荷が重い。次回からはロードマップをゴビーして持ってこよう。マクロは紙で。ミクロはスマホで。

宇都宮までの道標に安堵する。しかしそこに記された距離にはうなだれる。まだ30キロ近くあるのか。もう50キロ走っている。今日は80キロのランだな。自分としては久々の長距離走になる。ヒグラシの合唱の中を走る。もう夕暮れだ。

長閑な田舎道から国道4号線に入ると幅の広い自転車用の側道があり、横を高速で追い越すトラックの恐怖からは逃れることが出来た。安全だが道は荒れていて小石やガラス片が散っていた。そんな中を走っていると、夕暮れ迫る鬼怒川の陸橋で、友のタイヤがパンクした。今日2度目のパンクで、700Cチューブラータイヤの友人は予備が尽きた。650Aでクリンチャータイヤの自分とはサイズも違う。自分の装備では何のお役にも立てない。

友はここでリタイヤ。幸いなことにJR東北本線の駅が数キロ先にあった。自分はあと10キロ程度で宇都宮だ。では自分もリタイアするというと「いや、宇都宮まで走ってください」ときっぱりと言われた。友は、自分の立てた計画を自らが完遂することの歓びと充実を知っているのだった。それではお言葉に甘えよう。もう19時も近かった。ルートファインディングで酷使したせいか自分は自分でスマホの電池がほとんどなくなっていた。なぜモバイルバッテリーを持ってこなかったのだろう。便利なスマホも電池が無いとただの箱だ。さて、友とこの先いかに連絡を取ろうか・・。

友の動静は心残りだが宇都宮駅で19時半をめどに運良くば再会と、走り切った。勝手知ったる懐かしい宇都宮駅前で自転車を分解し輪行袋に収める。自分は今まで何カ所で、何度、この動作を繰り返したのだろう。数えても仕方ない。わかっていることは、これからもまだまだ、この動作を続ける事だけだ。それはいつも、疲労の中に満たされた思いに溢れる所作に違いない。

思ったより時間がかかった。友もいない。スマホの電池ももう尽きるので連絡が十分に出来なかった。疲れてしまった。宇都宮餃子も冷たいビールも、またの機会にお預けだ。よく冷えた缶ビール3本を手に始発の沼津行きに乗った。一本は友の為に買ったものだったが、仕方ない。もちろんすべて速攻で飲み干してしまった。最後に開けたスマホに、彼もこの列車に乗れた、と一文が入っていた。彼も安堵しビールでも飲んでいる事だろう。そこそこ人は乗っているし疲れている。ここで再会せずとも同じ列車であれば、それは嬉しかった。さて次はどんな旅かな?何処に行こうか・・。それは今は決めない。ゴールを決めてしまったら旅をすることは目的ではなくなり通過儀礼になってしまう。それはつまらない。思いついてふと旅に出る。自転車はそんな旅の格好のお供だ。

大団円の計画は果たせなかったけれど、走り切った充実感。地元の方の多くの厚意にも触れる旅でもあった。50年近く前に父が企画した旅行の起点の街・黒磯も訪れることが出来た。長い時間を埋め空間を走りつないだ。そしてなによりも、「自分に花を持たせてくれた」友の心意気が胸に染みたのだった。

「今度は近所の「餃子の王将」で、反省会だね」そう友に返信を返した。 ・・楽しみでならない。

黒磯駅の周りはスローな時間が流れていた。

緑豊かな水田地帯を走り抜けるイタリアンクラシックロードとフランス風ランドナー

那珂川は護岸工事がされていない。そんな清流に鮎釣り師がビクを腰に、竿を振っていた。

個人的には訪れたかった蛇尾川の汗子橋。増水すると水没する前提で作られた沈下橋(冠水橋)。わかりにくい農道を通り、至ることが出来た。

今回のルート図。全行程約80キロ。蛇行もした。しかし満足のサイクリングだった。(アンドロイドソフト「山旅ロガー」にてルートログを取得し「地図ロイド」に展開したもの)