日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

変わりゆく街

綱島という名のその街に始めて行った時自分はまだ小学生になっていなかった。昭和40年代の始め、社宅住まいだった我が家。父親は家を建てようと色々な場所に土地を探していたようだった。横浜市港北区にある東横線綱島駅は高架駅だった。その下の埃っぽい道を家族でバスに揺られた記憶が薄っすらとある。電車が頭の上を走るという光景は初めてだった。

結局そこは下見だけで、父親の買った土地は違う街だった。渋滞をなしにしても横浜駅からバスで30分以上掛かる。最寄りに横浜駅まで走る相鉄線の西谷という駅があったが、そこまでもバスでは10分か。なんとも不便な場所だった。いっとき開発も進んだが、不便すぎたのか今その街を車で走るとシャッター通りでもありややくたびれた団地があるのみだ。当の父親本人もその土地を離れ、社宅のあった住み慣れた街に戻ってきたのだ。

綱島という名に再び接したのは中学生だったか。当時読んだ石坂洋次郎の小説「寒い朝」だった。主人公の高校生男女が親への反抗心と自立の目覚めから二人して「小さな反抗」」と称し数日間の家出を意図する。二人が行った先が綱島だった。その街は温泉旅館のある田舎町として書かれていた。「ああ、あの鶴見川の隣の埃っぽい街だな」と懐かしかった。本自体は甘酸っぱく清潔な読後感の良い小説で、何度も読んだ。

結婚して住み始めた街は綱島に近く、小さくまとまった商業地であった綱島にはよく出掛けた。昔の印象と変わらず狭くてゴミゴミしているが、如何にも東急電鉄も一肌脱ぎましたよ、とでも言うようなスマートさが備わっていた。駅の東側には未だ小説に書かれた温泉旅館の名残があり、ラジウム温泉センターという大衆浴場と連れ込み旅館があった。

不便に感じた父親の買った土地近くの相鉄線西谷駅と、時折出かける東横線綱島駅の間に地下路線を掘り直通化させるという計画を聞いたときは驚いた。しかし実際に父親のように都心まで通勤している人には便利な話だろうと思った。まずはJRの貨物線を使い相鉄線西谷駅からJRへの直通化が始まり、そして数年遅れでの東横線直通運転だった。

気になる綱島駅の工事。狭い高架駅の何処にそんなジャンクションを作るのかと思えば駅の東側に地下駅が出来るのだった。いつの間にか小説の舞台だった温泉旅館もラジウム鉱泉も立ち退きそこには超高層集合住宅が建築中だった。いわゆる億ションだろう。駅直結だ。流石に東急電鉄の仕事だった。ぐるりと工事現場を回ると昔のラジウム鉱泉の裏地に地下駅の出口があった。新綱島駅とあった。開通はもうすぐとわかった。

父親が現役だったらほら見ろと喜んだろう。横浜駅を通過せずに人の流れも出来上がる。横浜駅周辺は何らかの影響がでるのだろうか。

街は生きている。廃れたり栄えたり。旧いものは消え新しいものに代替される。便利さを享受するのはありがたい。今でもバス渋滞の激しい綱島駅だが、反対側にできる新駅とはいえ、辺り一帯はますます栄えるだろう。記憶の街はどんどん消えていくが、それも便利さのためには仕方ないのだ。自分も柔軟に変化しなくては大きな流れに置いてきぼりになりかねない。もう少しゆっくりと進んではくれまいか。

かつてのラジウム温泉の裏手辺り。長閑な風景だったが一新された。新しい世代が沢山住み、街は新たな顔を持つのだろう

懐かしい書籍。石坂洋次郎の小説は幾つか手に取った。読後感の良い小説だった。