日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

至ル所ニ至福アリ

自意識過剰な若い頃、自分はもしかしたらそれほど好きではなかったのかもしれない。しかし職場の同僚は毎週金曜日になると仕事終わりに息子氏に連れて行ってもらうという。毎回どこに行くかはお楽しみだという話だから、彼女は金曜が楽しみなのだろう。いつもは残業が多いのだがそそくさと帰っていくのだから。

自分の住む街にそうあるわけでもないだろう。実際ボーリングして湧出する天然ものがそれほどあるか分からない。しかし「おんせん」と言う、それが漢字二文字が書かれていたら体に化学反応が起こる。仮にそれがスーパー銭湯もどきでも吸引力はたいしたものだ。

温泉マニアと言う方がいらっしゃるとしたら自分はあまり語る資格もない。しかし登山で様々な地域の山を登っているとおのずと当地の温泉に行き当たる。1980年代後半に政府の肝いりで行われた「一億円ふるさと創生」は賛否両論も功罪もあったのだろうか。しかしそのおかげで今は下山後には必ず近隣の日帰り温泉の恩恵にあずかっている。もちろんそのような近年掘り出した温泉ではなく昔からの湯は素晴らしい。火山国日本は温泉国でもある。

日帰り湯では、ふるさと創生で建てられたようなお土産屋や食堂などの複合施設もあれば、旅館やホテルが日帰り客にも開放しているパターンもある。前者は快適で値段も1000円を切ることが多い。後者はたいてい様々な制約が日帰り客に課せられる。もうひとつある。秘湯を守る会に象徴される山奥の湯宿、湯治場。それに共同浴場というやつだ。いずれも独特の雰囲気がある。秘湯を守る会の湯には数えるほどしか入ったことが無い。湯治場はえてして山深いのでそうそう気楽ではないが、俗世間から遮断されたのんびりさが良いだろう。自分は青森・八甲田の酸ヶ湯温泉、秋田の後生掛温泉くらいしか知らない。いかにも体も心もじっくり治癒してくれそうに思える。共同湯は昔ながらの名湯には大抵あるのかもしれない。

共同湯は地元民が共同で運営しているようだ。地元民以外にも開放されていて価格も500円を切るだろう。いずれも古びた建屋に常駐管理人すらいない、というパターンが多そうだ。全くの私見だが、共同湯は建物が古く質素であり、利用者平均年齢が高ければ高い程、ありがたみがあるように思える。進化・近代化と満足度が反比例するという希有な例だ。

先日は上越国境、上州と越後・群馬と新潟の県境尾根に登った。日本海を渡ってくる雪雲に山肌が削られたのか、険しい岩があるから大雪を降らすのかわからぬが、高山植物と笹の広がる長閑な山頂からは険しい岩稜地帯が良く見えた。下山して待っていたのは共同湯だった。古びた民家には何の看板もなく、そこが共同湯とはまず分からない。地元民の為の湯なのだから知らしめる必要もないとでも言っているようだ。ガラリと引き戸を引くと番台も居ない。缶を細工した入湯錢入れの箱があるだけだった。400円だった。もちろん石鹸やシャンプーもない。カランとホースのないシャワー、ケロリンの黄色い桶があるだけだった。

余りの造りの渋さに圧倒された。そして思い出した。渋さと湯の熱さは比例するのだ。源泉かけ流しとはこのことだろう。47度以上あるのではないか、とてもゆっくりするような湯でもないが、我慢していると、山の疲れがスーッと抜けていくのだった。こうしてビール渇望者の出来上がりだが、そんな自販機など館内にはある訳もない。これはもっとじらしてもらって楽しめ、という善意だろうと解釈する。

しかし全く温泉だけはそこらじゅうに在る。ありがたい。「一億円ふるさと創生」は自分にとってはありがたいものだった。御朱印帳ならぬ入湯帳があれば持ち歩きたくなるほどだ。

思わず独り言が出る。…至ル所ニ至福アリ、と。

 

追記: 自分がこれまで入った共同湯で渋くて気に入ったもの。

・福島・土湯温泉 こけしがお出迎えしてくれる温泉街。吾妻連峰山スキーの後で入浴。小さくてシブイ。
・長野・蓼科親湯 今はリニューアルされたのだろうか。熱い湯だった
・箱根・湯元温泉弥坂の湯 観光地箱根湯本にこんなにシブイ湯があるとは思わなかった。
・群馬・猿が京温泉共同湯 今回の温泉。ナビが無ければたどりつけない。着いてもそこが共同湯とも思えない。ただの民家の建物だから。引き戸を開けても誰もいない。缶を利用した料金箱と熱い湯があるだけだ。

 

箱根湯本・弥坂湯 観光客であふれるメイン通りから15分歩くだけでタイムスリップする。

弥坂湯の湯舟はこれだけ。カランの洗い場も数カ所。とても素晴らしい。

猿が京温泉(群馬県水上町)の共同湯は看板もない。いや、よく見ればあるのだがとても読み取れない。只の民家にしか思えない。

猿が京温泉共同湯。時間も早く自分達しかいなかった。湯はとても熱く覚悟が必要だったが、湯冷めとは無縁だった。