日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

富士山ここにあり

僕がこの地を知ったのは昭和40年代初めだろう。父親がこのあたりに家を建てようと土地を探していた。埃だらけの道をバスに揺られて走ったことを覚えている。

次にこの場所を意識したのは中学生か高校生だった。色気だって来る年齢だからそんな小説に惹かれたのだろう。青森は津軽の産んだ作家と言えば太宰治になるが、なぜか石坂洋次郎はそうは出てこない。「青い山脈」「陽の当たる坂道」あたりはそれなりに流行ったのではないだろうか。いずれも映画になったくらいだから。しかし最近は余りその名も見ない。

心配ご無用。自分の書棚には彼の著作は数作ある。特に好きなのは「陽の当たる坂道」だろうか。映画では石原裕次郎がナイーブでぶっきらぼうな主人公を、そしてのち裕次郎の奥様になる北原三枝がマドンナを演じていた。主人公の妹役の芦川いづみがこれまた美しかった。二人の美人女優の共演に見入った。

もう一冊の愛読書は「寒い朝」と題のついた掌編だった。こちらは大学受験を控えた男女の青春ものだった。受験勉強を続ける高校のクラスメート男女。彼らは親への反抗心と自立の目覚めから二人して「小さな反抗」と称し数日間の家出を意図する。二人が行った先は東京を出て神奈川県東部のとある温泉町だった。昭和四十年ごろに埃っぽいその街をバスで通った記憶がよみがえってきた。描かれているようにそこは確かに田舎町だった。

その田舎町も今では昔日の面影はない。それでも四十年ほど前は健康ラドン温泉などの共同湯もありご休憩いくらと書かれた連れ込み旅館も何軒か残っていた。しかしいつかそれらは消えていた。埃っぽい路はとうに消え駅前の再開発が続いてきた。横浜市港北区綱島という街だ。つい数年前に高層集合住宅も立ち神奈川県中央部からの私鉄が新たに乗り入れるようになった。地価も上がっただろう。

一帯はこのあたりでは少しは密集した商業地だ。しかし少し足を踏み入れると意外に昔ながらの家並みがある。そんな一角に銭湯があった。とはいえかつては温泉宿地帯なのだ。昔通りの黒い湯が出るラジウム鉱泉もあるという。自宅から車で三十分、ようやく行けた。

驚いたことにそこには富士山の壁画があった。男女の湯はシャワーとカランのある高さ数メートルの壁で仕切られているだけで、高い天井は共有だった。富士山は横の壁に描かれていた。富士山が描かれた風呂屋などまだ残っているのか。学生時代の友人のアパートには風呂が無く、彼らと風呂桶とシャンプー石鹸をもって風呂屋に行くといつも富士山を仰いでいた。富士山を見ながらの大きな湯船は気持ち良い。

余りに通俗的に思えて自分は富士山登山をしたことが無い。しかもこの数年は弾丸登山やオーバーツーリズムと言われ富士山は自分には近くて遠い山になってしまった。しかしこうして思えば日本人の心の中には必ず富士があるのだった。もう半世紀以上前に訪れ、また、小説で読んだ懐かしい場所だった。ラジウム鉱泉の黒くて熱い湯につかりながら壁に富士山を見る事が出来た。庶民の富士は庶民の湯に在り。ずっとあり続けてほしいと思うのだった。

男女浴室から共通で見ることのできる富士山。やはりこれがあると嬉しくなる。