日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

肩たたき券とナポリタン

子供の頃によく遊んだ。公園のシーソーだ。左右端のそれぞれに乗ってギッタンバッコンだが、一人でも遊べる。それはシーソーの上を右端から左端まで渡り歩くものだ。すると支点を境にシーソーの向きが上り坂から下り坂に代わる。シーソーの腕が長ければその変化はゆっくりで、短ければ急激だ。転ばぬよう渡るのだった。

いつしか夏至も終わってしまった。確かに日暮れが遅くなってきたと思ったら、はや日は短くなる一方だった。まるでシーソーの様だった。昔よりシーソーの腕が短くなったのでは?と思うほど折り返しまでの時間が短くなってきた。季節の移ろいを感じるのは気温や空気の透明度、木々の色合いの変化が多い。加えてこうして太陽と顔を突き合わす時間の長さによっても感じるのものだ。

結婚して家を出た娘が、久々に遊びに来るという。もともと休暇申請をしていたようだが午前中に避けられない用事があり出社してから午後の帰路に立ち寄るそうだ。数週間ほど前に通り過ぎてしまった「父の日」に何もしなくて申し訳ないね、と娘は電話口で言っていた。いや、それを断ったのは僕だからね、何もしなくてよいよ。気にしないでくれ。そんな話をしたのだった。

どうも母の日も父の日も、自分にとっては苦痛だった。何か贈り物をしなくてはいけないということも、また儀式めいているという気恥しさも手伝って好きになれなかった。日頃の感謝の言葉を述べるならそんな機会は強制ではなく自発的なものであるはずだ。成人の頃から親子関係には素直になれなかった自分には嫌な通過儀礼だった。だから自分の娘たちが社会人になってからもずっとそう言っている。自分が感じた嫌な思いを強制させたくなかった。その意味で、彼らが子供の頃にくれた「肩たたき券」ほど嬉しかったことはない。無垢な回数券だった。

今は施設に入って一日中寝ている我が父親を思う。滅多に彼の施設に顔を出さぬが電動ベッドを起こして散発的な話をする。耳も遠くなり話す言葉も不明瞭だが一応会話は成立する。彼の記憶をほじりだすことが良いのだろうか、と子供の頃の他愛のない昔話をする。母とは違い父は自分の日常に殆どかかわってこなかった。彼の主戦場は会社だった。そのおかげで自分は大きくなった。この年齢になり、そんな父の役割に感謝の想いがある。そうだ、自分も父に上げた。「肩叩き券」だ。あの頃は未だ父の日など存在していなかった。何故か父の眉毛の伸びが早いのでパチパチとそれを鋏で揃えていると、彼に対する感謝が湧いてくるのだった。元気に歩き回れるうちに、差し向いで赤提灯に行きたかった、今になってそう思ってもそれは叶わない。

さすがに娘たちも今は「肩叩き券」を発行してくれない。その代りにたいてい肩を叩き揉んでくれる。肩甲骨のちょうど真ん中あたりのツボを押してくれるととても気持ちが良い。遺伝性なのか彼女たちも肩こりで今度は自分が同じようにやるのだ。父娘のコミュニケーションだ。

先日娘の肩を叩き揉んだらやはりとても凝っていた。社会人数年目、組織の中での自分の立ち位置が出来あがりそれなりの役割を責任をもって果たしているのだろう。その心労と疲労が肩のコリに出ていると思った。全くご苦労なことだ。社会人生活を離れた自分も何故か未だに肩こりはある。娘が来たらまた肩叩きのコミュニケーションだ。

シーソーの腕はこれからますます短くなり上り坂と下り坂はすぐに入れ替わり年月はあっという間に経過していくだろう。そして自分もいつの日か眉毛を鋏で切ってもらうのかもしれない。なにせ父譲りで自分の眉毛も伸びるのは早いから。

さて午後から来る娘のために、彼女の好物を昼食に作ろうと考えている。スパゲティナポリタンだ。そうだ僕も「ナポリタン券」を発行し、娘からの「肩叩き券」と交換するのはどうだろう。発行してくれるだろうか?

こんな券の交換会があると楽しみだな。もっとも券なんてなくともいくらでもチャッチャッと作るけどね・・。

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