日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

分水嶺

甲府から自宅へ帰る途中だった。駿河湾に流れ出る富士川はこの地に遡るまで幾つにも分かれる。本流は釜無川と呼ばれる。それに沿った道だった。甲府には修理のために自転車を車に載せて店に訪ねて行った。プロの手によりそれは直ぐに治った。自分はサイクリストを名乗りながらもチェンリング一つ自力で外せなかった。さすがプロだという感心と、自分は何もできないし直そうという気概もない、そんな敗北感が混じりあい自分を運転に集中させなかった。釜無川に沿って緩く登る国道二十号線は決して楽しいルートではない。特に自分が乗っているような旅をする自転車・ランドナーに乗るのなら多少遠回りでも旧街道や並行して走る農道や里道が楽しい。だがこの富士川に沿った地形も、その流れが南アルプスと八ケ岳の裾野が南北から伸びその末裔が拮抗する狭い谷を目指し、進むほどに矮小化する。国道走りは不可避だ。こうなると仕方ない。砂利や砕石、セメントを載せた地元のダンプカーに冷や冷やしながら国道を走ることになる。

甲州街道の宿場町の面影を残す旧道を右手に分けて僕はアクセルを踏んだ。すると前方に自転車が見えた。遠目にそれは一瞬光る。光るのはアルミの泥除けに違いない。同好の士か。クリアランスを十分に取り追い越した。ランドナーだな。しかし少し違和感がある。数百メートル進んで僕は車を回転させ安全な路側帯で彼が来るのを待った。

登山で急斜面を登る時、自分はスゥ・ハァと短いサイクルの呼吸を繰り返す。このサイクル二つで二歩ステップを刻める。自転車での登り坂はスッスゥ・ハッハァとなる。これでクランク四回転だろう。彼はもう少し長い呼吸サイクルで登ってくるようだった。彼が近づき、違和感の正体が分かった。

・・・僕は片手をあげる。彼は路肩に停まってくれた。登って来たのはタンデム車、二人乗り自転車だった。ロイヤル・ノートンか。それを一人で漕いできた。僕の頭の中は感嘆符で埋めつくされ、数多の質問がそれを飾り立てていた。車のハッチバックを開けその中にあるトーエイランドナーを見せたら彼は全てを理解してくれた。

彼の行先を聞いて僕も全てを理解した。「今井さんの追悼ラン!杖突峠ですね」、と聞いた。毎年この季節、正確には命日の日に、ニューサイクリング誌編集長の故・今井彬彦氏を忍んで彼が愛した諏訪の杖突峠を走るという追悼ランがあることは知っていた。ニューサイクリング誌は1970年から80年代にかけてサイクリングの黄金時代を飾った雑誌だが自分はリアルタイム世代ではない。そんな負い目もありその追悼ランは参加者が投稿する記事をWEBで見るばかりだった。その当時の読者が集うのだから自転車はランドナーやスポルティフ、つまりは鉄のホリゾンタルフレームに泥除けのついた自転車となる。それは不文律ではなくおのずとそうなるように思えた。

彼はこの追悼ランにタンデム車で参加をするというのだった。独り乘りの理由は諏訪湖の西に友人がいて、明日その方と二人で登るという事だった。今朝5時に神奈川県中部の町を出たという。今は15時だった。距離150キロだった。彼の街からこの地までは最低でも二つの分水嶺を超える。そこは甲州街道では名高い峠だろう。多摩川水系大垂水峠で、相模川水系笹子峠で越える。この地から信州に抜けるには約20キロ先の長野県富士見町に分水嶺がある。そこで富士川水系は終わり、天竜川水系に変わり諏訪湖にそそぐ。そこからは激流天竜川となる。諏訪湖までは僕が十八歳の時に富山市に住む親元への帰省の際に走ったオートバイでのルートだった。250㏄のエンジンでも諏訪に着いた時は疲れていた。が旅をしているという実感でとても興奮した。それを彼は10時間かけて、自力で走ってきた。感嘆しか無かった。年齢は自分より二つ年上だった。還暦も半ばを迎えようとされている。しかし遥かに若々しい。なんという旅なのだろう。

彼はまた彼は今日の目的地、彼の友人が住む諏訪湖の西側の街に移住したいという夢を持っていた。何処かで聞いた話だった。自分と同じですね。僕も山と自転車の友が住むこの地に移り住みました、と。

短い時間でここまで話し合えるのはやはり鉄のホリゾンタルフレームと泥除けという共通言語を共有しているからだった。もう一つあるかもしれない。彼はまた自分がこの地への移住者であると知り何かを感じていたように見えた。

あと一つ、分水嶺がありますね。過ぎれば甲斐から信濃へ、天竜川の水系になりますよ。そう話した。がもちろん彼は言うまでもなくそれを知っていた。そんな彼とはどちらからともなく互いのSNSの情報を交換していた。その夜に無事諏訪湖西岸の友人の家に着いた事、明日は杖突峠です、そんな短いメッセージが届いた。

自転車一つの整備も出来ない自分だった。しかし達者なサイクリストの姿は何かを自分に与えてくれた。分水嶺は道路という見える形でなくともさまざな姿で身の回りを取り囲むだろう。タンデム自転車ではないが、自分も心のギアをローに落としてそれを超えることが出来ればよい。無理なら手で押して越えるだけだ。

タンデム車をじっくり拝見した。ランドナーミキストのフレームが合体されているように思えた。これで彼は二つの分水嶺を越えて150キロ走られてきたという。彼から僕は何かを得たと思う。実践できぬ何かを。