日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

ユーミンの歌世界を自転車で・天気雨と相模線

相模線という鉄道路線を知っている方はやはり「鉄分豊富」な人だろう。神奈川県では数少ない単線の鉄道は相模原市の北部から湘南の町まで相模川に沿って南北に走っている。今でこそ電化はされたが自分が学生の頃はディーゼルエンジンをガラガラと唸らせた気動車(キハ35)が走っていた。

乗った記憶はあまり無い。しかしなんとなくこの長閑な路線に揺られた気になっていたのは、当時レコードが擦り切れるほど・録音したカセットテープが伸びるほど聴いた荒井由実の歌のお陰だろう。

荒井由実と初期の松任谷由実の歌世界が好きで、彼女の歌に出てくる幾つかの場所はサイクリングで走りつないでいた。自転車でゆっくり走る事で歌の風景が思い出され、それが現実の光景と溶け合うさまが好きだ。彼女の歌詞に出てくる地はやはり武蔵野が多かったが、横浜や三浦半島もまた歌の舞台だった。ほぼ巡ったつもりだが迂闊にも残していたのが湘南だった。…茅ケ崎に有名なサーフボード店がある。その世界に詳しくはないが老舗だろう。海の好きな彼。一途に思う彼女。その店はモチーフとして映画のワンシーンの様に歌われていた。

鎌倉に車を停めランドナーに車輪をはめた。寒川町あたりで相模線に沿い、その先は相模川に沿って茅ケ崎の海岸へ南下した。路地の住宅のガレージには人の高さのシャワーがあり幾つかのボードと無造作に引っかけられたウェットスーツが晩秋の日を浴びていた。海岸は近いようだ。

記憶の中の非電化路線は遠い昔となっていた。今は頭上に架線が走り、ディーゼルエンジンではなくモーターで動く電車が走っていた。しかし沿線風景の素朴さは変わっていなかった。がつがつとリアを重くして高いケイデンスを保つと風が体を包み気持ちがいいだろうが、速すぎて風景と自分を同化することは難しい。そもそもランドナーはそんな自転車でもない。リアは真ん中あたりを選んだ。すると風景は自分になった。痩身なロードバイクに何度も抜かれた。しかし自分の前にはサーフボードを積んだ自転車がゆっくりと進んでいる。ウェットスーツのまま自転車に板を横付けにして雪駄履きといった態で自宅から走り出し、手近なところで良い波の来る浜辺を目指しているのだろう。

こんな人生の過ごし方もあったのか。そんな軽い衝撃を感じさせるほど、海と生活が一体化しているように見えた。少しの時間が取れた。ならば小一時間でもウェットスーツに着替え、ボードを自転車に載せてひと漕ぎして波を捉えるか。そんな感覚なのだろう。

ゆらりゆらりと走るサーフボードの自転車を追い越して松林の道をこいだ。老舗のサーフボード店は目の前だった。

♪ サーフボード直しにゴッデス迄行くといった。邪魔になるの知ってて、無理にここへきてごめんね。
♪ 白いハウスを眺め 相模線に 揺られてきた 茅ヶ崎までの間、貴方だけを思っていた

唄に出るゴッデスとはここだったのか。白いハウスとは米軍住宅だろう。相模線沿線なのだから米軍補給廠やキャンプ座間あたりの関連施設があったのだろうか。

松林を抜けて海を見ようと思った。そこでスマホの中に在るこの歌を聞いたなら自分は更に風景に溶け込めると思った。しかしサーフボード店の少し手前で買った「生シラス」のパックが気になっていた。ドライアイスをたっぷりつけてはくれたが、鮮度が命。保冷が効いている間に自宅に戻らなくてはいけなかった。

フラフラと走る自転車がまた浜からやって来た。真っすぐに走りたくとも横につけたボードが大きく、当たる風に蛇行を強いられていると知った。サーフボードに当たらぬようにうまくよけて、鎌倉へ急いだ。

サーフボードで思い立ったら気楽に波に乗るというライフスタイルも羨ましければ、もう50年近く前にそんな世界を歌にしたユーミンの多感であり輝いていたであろう青春時代もまた、羨ましかった。

あの若い頃には戻れない。それに泳げない自分は海も好きではなかった。しかし多様な生き方に憧れ、自分もそんな心を実現していきたい。それは違う分野で構わない。

学生時代の仲間でサーファーが居た。証券会社に就職した彼は一体元気なのだろうか。今も波に乗っているのなら、素晴らしいな、と思う。そんなことを思い出しながら焦るようにペダルを踏んだ。帰宅しても生シラスは新鮮なままだった。シソの葉とともにご飯に載せると、家内も嬉しそうだった。甘さと苦さが両立するそれは、実際、とても美味しかった。

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荒井由実「天気雨」動画サイトより
松任谷姓になる前の歌、「天気雨」。映像でのリズムセクションはマイク・ベアードとリー・スカラー。てっきり林立夫細野晴臣がオリジナル録音のリズムセクションと思いきや、この曲の入ったアルバムでは彼らだった。ギターは鈴木茂ではなく松原正樹か。ノブ斉藤のパーカッションも松任谷正隆のピアノも嬉しい限り。当時のメンバーで演奏された2001年の映像。素晴らしい演奏に海に縁が無かった自分もなにかうきうきする。やはりランドナーを止めて海辺で聴くべきだっただろう。
https://www.youtube.com/watch?v=9gCWbhR8m_U

かつての非電化路線にはいつしか架線がかかった。しかし沿線ののどかさはあまり変わらないようだった。

サーフボードを横につけた自転車が路地に入っていた。ランドナーを停めてみる。やはり湘南だった。そこには海の匂いが満ちていた。

松林を抜けて相模湾に沿った道。WレバーをFはアウター、Rは最小に落として走った。一刻も早く帰宅し、湘南土産の生シラスを鮮度の良いうちに妻と食べたかった。