友人の家までは車で三分だろうか。しかしそれは都会の距離感ではない。渋滞も信号も無いのだから距離にすれば二キロだろう。彼から借りたものがありそれを返しに行った。白砂利のアプローチの奥に車があった。あ、ご在宅だな、と嬉しくなる。
簡単な挨拶だけと思うのだがいつもここに伺うとデッキに招かれコーヒーをご馳走になってしまう。それはイタリアンローストのエスプレッソだった。今日は玄関で失礼しよう、いつもそう思っている。しかしこの地の魅力を教えてくれた友人からは多くの事を教わるのだった。それにかこつけてコーヒーを戴きに行っている、と実は知っている。彼は趣味人で手先の器用さも加わり日々を楽しまれている。「手作りの生活」、そんな言葉が頭に浮かぶのだ。
帰り際に奥様が出てきて、これどうぞ、と言われるのだった。それはビニール袋に入ったパンだった。
- ベーグルですよ。今朝焼いたのです。
- 奥様が焼かれたのですか?いつも通り美味しそうですね。
- いやこれは主人が焼いたのですよ
友人は、味の保障は出来ないけどね、と付け加えられた。
帰宅してすぐにそれを家内と分けて食べた。ルバーブのジャムを塗った。それは奥様の手作りだった。ご主人のベーグルに奥様のジャムだった。モチモチしてとても美味しく、ジャムにも良く似合った。
僕にはこの地に越してきて、やりたいことが山ほどある。しかし何も新しいものにチャレンジしていない。確かに庭整備、薪ラックづくり、倉庫づくりと宿題だらけだ。登記関連のペーパーワークも残している。加えてどうも疲れやすい。やることが多く効率が低い。何も結果が出るわけもない。いつかやりたい事リストの中に、うどんや蕎麦、パン、そして食器を作ってみたい、という夢もあった。どれも入口の糸口を見出しただけだった。しかし今朝のベーグルは自分のやる気スイッチを入れてくれた。あんなに美味しいものを自分で作れたら楽しいだろうと。
材料は我が家にある。あとはイースト菌を買えばよい。こねて発酵させ茹でて焼くのか。家内が作ったゆずのジャムが残っているはずだ。
こんな手作りの毎日に憧れていた。それが実現できる環境にありながらなににもトライしていない自分が情けなかった。「頑張れ自分」、そう激を飛ばした。それは友の作った柔らかいベーグルの生地で跳ね返されて自分に返ってきた。そう、やるのは自分だ。全てが楽しいはずだ。