日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

陽だまりとからっ風

とある群馬県の古刹だった。古刹の裏手には湿地と澄んだ沼があった。数年前に来た時には気づかなかったが砂利敷の駐車場の隣にアスファルトの大きな駐車場があった。それほど有名とも思えぬこの場所にはやや不釣り合いな大きさだった。しかしその一角に真新しいカフェがあった。若い女性がにこやかに笑いながら店先で客引きをしている。普段ならスルーするのだがあまりに素敵な笑顔だったので帰路立ち寄ってみた。ちょっとした甘みや軽食、手作りのお弁当を売っていた。そこはキッチンカーも備えていて、日や時間によっては何処かに売りに行くのかもしれなかった。

三十代だろうか、若い夫婦が切り盛りをしていた。オリジナルデザインの今川焼を売っていた。注文すると作り置きではなく新たに焼きだしてくれた。

焼いて頂きながらご主人と色々な話をした。群馬の外れの地に横浜ナンバーの軽自動車が来たことが珍しかったのか、よくぞ来て下さいました、と言われた。自分達はこの後北に向かい佐野厄除け大師で厄払い、そしてラーメンですと伝えた。佐野まで厄除け大師にラーメンか、と少し腑に落ちたような顔をされた。

出来立ての今川焼はとても美味しかった。家内と自分とでそれぞれ違う味を頼んだが中の餡にも細工があった。食べ終えて僕は店に戻りお礼を言った。美味しかったですと。

車に戻ると彼が小走りでやってきた。

自分の実家は佐野なんです、と言われた。数年前に結婚しここで新しく店を始めたという事だった。佐野は素敵な街ですね、アウトレットもあるし、と言うと彼はとても嬉しそうだった。買い物に関心のない自分は実はアウトレットモールにはこれっぽちの興味もないのだがそれは佐野市にとっては大切な観光資源と知っていた。自分の佐野とは石灰岩採掘でやや埃っぽい葛生の街、魅力的な低山々、点在する屋敷森、渡良瀬川の流れる北関東らしい長閑な風景、ラーメンと厄除け大師だった。アウトレットは社交辞令だった。彼は続けた。

厄除け大師のあとラーメンに行かれるんですよね?あてはありますか。

ええ、好きな店の何処かに入りますよ。混んでいない店に。森田屋、岡崎、万里、おぐら、押山、ほりこし・・・・。

彼は目を丸くした。何故そんなマニアックなお店をご存知なんですか?と。マニアックなつもりは無かった。佐野市足利市栃木市桐生市エリアには登山とサイクリング、そしてラーメンでもう何十年も通っているのだから、何時も立ち寄る店の名を挙げただけの事だった。逆にここ数年来に流行り出した店を自分は一切知らない。行こうと思ったら整理券で待ち時間三~四時間と知り尻尾を巻いて踵を返してばかりだった。やはり昔からの、識っている店が一番だと。

どうやら彼は混まなくて美味しい地元民の為の穴場を紹介したかったのだろう。しかしその必要は無いと悟った様だった。エンジンをかけると奥様も出てきた。客引きをしていた時と同じく素敵な笑い顔だった。佐野、楽しまれてくださいね、と手を振りながら言われた。そこは彼らの大好きな自慢の郷土なのだろう。

この町は県は違えど彼らの郷里の隣町だった。そこに夫婦でやってきたのだろう。店を持ててどんなに嬉しかった事だろうか、手を抜かない食べ物に手作りの店、そして生来の笑顔はその思いが結晶になって表出したものと思われた。郷里を離れて独り立ちか・・・。ふと社会人一年生目に単身でとある街で働き始めた自分の娘の事に考えが及んだ。彼女も又育った町を離れて独り立ちしたのだった。今は結婚し違う場所で新しい家庭を営んでいる。彼女も今、笑顔に違いないと。

降り注ぐ春の陽射しは柔らかい空気を作るが、遥か北の赤城山からの上州空っ風がそれを蹴散らしていく。沼の水面は揺れている。彼ら夫婦の笑顔が僕の頭から離れない。冷たい北風の季節が終わったらそこは暖かい陽だまりのようになるのだろうと思うと、何故かその街を離れがたかった。

水面は陽差しが明るいのだが、北からのからっ風がそこに波を作り明るさを蹴散らしていた。何故か去りがたい場所だった。

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