日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

邪心の入る余地はない

関東には三大厄除け大師がある。何処だろうと調べるが川崎のお大師様と足立区の西新井大師はよく出てくるがもう一つとなると香取市の観福寺と書かれているサイトもある。すべてが真言宗だ。栃木の佐野厄除大師を挙げているものもある。調べると天台宗だった。実家の宗派は日蓮宗だが自分は宗派にこだわりが無い。万物に神在り、全く日本人だ。

夫婦の年齢は二つ違い。すると二人共に厄年を迎える。前厄と後厄だった。厄除け祈願していかほどの効果があるかは知らぬが、やっておいて損はないだろう。手始めに川崎のお大師様に行った。ここは毎年の初詣では明治神宮成田山新勝寺と並び人出トップスリー。行列が嫌いなので正月に行くことはない。二月になると人出も収まり無事に護摩を焚いて頂いた。一人五千円が高いか安いかはわからない。本堂内で一心不乱に続く読経は太鼓もまじりリズミカルで心地よくリズム楽器奏者の血が騒ぐ。御札を受け取った。

今度は西新井大師だった。足立区は自分の行動圏からは離れており土地勘もない。カーナビ頼りだった。驚くべきは東武鉄道が幹線の伊勢崎線西新井駅からこのお大師様のためだけに盲腸線を走らせていることだった。京浜急行も川崎大師とその先の工業地帯に向けて川崎駅から大師線という支線を設けている。庶民に愛されているお大師様なのだろう。

参道は短いが賑わっており屋台も多く出ていた。中国人やトルコ人が屋台を出して餃子やケバブを売っているのも驚いたが、そんな時代だろう。今回は財政難もあり五千円の護摩焚きは遠慮した。代わりに五百円の経木に願いを書いて奉納した。これも護摩の火付けくらいにはなるだろう。

実はこのお大師様には参道から外れた箇所にテレビで何度がでた最中屋がある。それも家からやや遠いこのお大師様に来た理由の一つだった。粒餡と白餡の栗最中を一つづつ買った。が、買い物で車を離れたわずか十分でそれは外袋だけになっていた。後席で犬が嬉しそうに座っていた。彼のお腹は目立って大きかった。彼を車の中に放置したうえに一瞬の気の緩みでそれを車内に置いていたのが敗因だった。

その晩彼は苦しそうで嘔吐の姿勢を何度も取っていた。仕方ないなと背中を擦ったが翌朝大量に無事排便した。最中を取られて気が収まらないのはこちらだが、店に問い合わせると配達もあるが送料も馬鹿にならなかった。美味しかったと思うようにしようと決めた。

さてもう一つは佐野だ。これまでにラーメン詣で何度訪れたかわからない街。厄除け大師は数度しか行ったことがない。霊験あらたかなこちらでも厄除けをしようと思っているが、これも最中同様にラーメンが目的の半分でもある。

そんな程度の信心なのだからお大師様の最中は食べられたのだろう。信仰に邪心の入る余地はない。ではラーメンはやめられるか?青竹で打った美味しい麺と綺麗な醤油スープなのだ。無理だった。せめて食べ物を車の中に残さずにお参りに出かけるしか無いだろう。

そして三箇所回れば、きっといいことがあるかも知れぬ。そう、僕らは出来るだけ邪心を排し信心を胸に宿して伺おう。

短いながら雰囲気の良い参道がある。邪心なく拝めば良い事があるに違いないのだが・・。

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