日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

踊り念仏

自宅から徒歩10分、そこには曹洞宗大本山がある。古刹でもなんでもないが全国の曹洞宗のお寺からも若い修行僧がやってくる。仕組みはよく知らないがここの修行を「卒業」すればお寺の後継ぎとしては合格、晴れて住職さんなのだろうか。広い敷地のこの寺は自分には散歩コースで本堂まで行くのは初詣の時だけだった。禅体験も出来るがやったことはない。

曹洞宗は禅の教えなのでストイックなのだろう、そんなイメージを勝手に持っていたが実は修行僧たちは駅前の豚骨ラーメン屋やハンバーガー屋の常連だ。禅宗だろ、生臭だなと思うのだ。しかしよく見ればまだ20歳にもなっていなさそうなお坊さんの卵ばかりだった。仕方ないと思う。道元上人の教えに背くかは分からないが修業を始めたばかりの身なのだろうから。

そんなお寺ではこの季節に盆踊りをやっている。特に関心もなくずっと行かなかったのだが、職場仲間からも誘われて行ってみた。前々より家族から修行僧達が弾けて踊り狂い、とても凄いのよと聞いていたのだった。

お寺の境内に近づくと軽妙なMCが聞こえ太鼓が鳴り群衆のざわめきがあった。子供の時の様に何故か足が急いだ。大きな櫓がありそこで盆踊りの曲に合わせて浴衣姿に手ぬぐいを頭に巻いた若者が踊っている。修行僧達だった。MCも太鼓も彼らだった。ひょっこりひょうたん島オバQ音頭などに凝った振り付けをして彼らは踊る。一休さんが流れるとそれは踊りのハイライトで彼らは全身全霊を込めて強く踊り、跳ねて、周りには四重の踊りの輪が出来ていた。

盆踊りなど、もう五十年以上も踊っていない。躊躇を越えて職場の同僚達とためらわずに輪に飛び込むとあとは熱狂があった。どうしようもない、ただ楽しむだけだ。こんな楽しく激しい踊りなら冥土の祖先も「何だこれは」と興味津々やってくるなとも思った。

僧たちのリードも上手く踊りは渦になっていた。同じ曲が繰り返され踊りも上達してきた。一休さんでそれは頂点に達した。僧と民衆の作るこの原始的な凄まじいエネルギーの放出は何だろう。何故か涙が出てしまった。僕もこうして生きている。そしてそれがとても嬉しくありがたい。二年前の今頃は治療の影響で髪は抜け頭はつるつるであの修行僧達のようだった。歩くことも覚束なかったのだ。しかし病はどこかへ飛んでいき健康な日常がやってきて今日まで続いた。

僕は踊りながら思った。これは「踊り念仏」に違いないと。空也上人も一遍上人も宗派は違えど踊りながら一心不乱に願うことを説いたはずだ。すると願いは叶うと。僕は疫病退散を祈った。自身の病がもう二度とこないよう。家族も友も皆幸いであるよう。

夏祭りはまだ続くようだった。これ以上お祈りすると欲張りだと罰が下りそうに思えた。ともに踊り続けた職場の同僚に挨拶をして熱狂の輪を抜けた。彼女たちも何かを願ったのだろう。

修行僧達は明日からはまた静謐な時の中に自分を鍛えるのだろう。そして偶には駅に出て豚骨ラーメンなのだろう。それも良い。いつか住職となった彼らの説法を聞いてみたい。弾けたことですでに民衆に功徳を施してくれているのだから、よりありがたいお話をして頂けるだろう。

裏参道から帰るので祭りの後の感じが大きかった。遠ざかる祭り囃子を聞きながら来夏もその先も、必ず踊るだろうとひどく強く確信した。

櫓を中心に修行僧たちは二重三重で踊り、その外に四重の踊りの輪が広がった。それはエネルギーの渦だった。自分もその中のマグマとなった。溶けながらただ祈った。

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