日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

知人が増えるという事

サイクリングを終え、地元の駅で輪行袋を解く。もちろんそれは、その駅から自宅まで走るためのものだ。自分のランドナーはフロントフォークを抜くスタイル。まずは六角レンチでステムを緩めハンドルをステムごと外す。次にフロントフォークを締めている4重のネジからなるヘッドパーツを外してからフォークを抜く。外したヘッドパーツは紛失防止のためにフォークにまた嵌めてから、残ったボディに重ねて紐で縛ってから袋に入れる。フレームの傷つき防止の布切れやプロテクタを挟みバラシて袋に入れのに15分程度、袋から取り出し自転車のカタチにするのに10分程度かかる。

予定していた一日のサイクリングを終えて、輪行袋を抱えて駅に下りた。愛車はせいぜい重量11キロだがそれでもやはり重い。改札をやっと抜けると出来るだけ早く組み上げたくなる。そこで駅前コンコースの片隅で店を広げる。

ああ、今日も楽しんだな。

そんなことを独り言ちながら自転車を組んでいると、突然自分の名を呼ばれた。

振り向くと職場の同僚だった。同僚はまだ若く自分の娘と変わらない年齢だった。彼女は自分と同じ中国地方の出身で、思わず飛び出る言葉もイントネーションも近しい。そんなことで自分は彼女と話すのが好きだった。

「おおーっ」と大きな声で返事をした。サイクリングへ行っていたことを告げて、少し世間話をして別れた。フルタイムで仕事をしていた頃は自分の休日の趣味を人に告げることはなかった。今思えばそれも何故だかわからない。自分は「仕事だけの人間ではないよ」という矜持もあったのだろうし、「あいつは休日遊んでばかりいるから仕事に身が入らない」と言われるのも嫌だったのだと思う。

今はパートタイムの仕事だから、そんな複雑なことは何も頭に浮かばなかった。むしろ休日の夕方に身綺麗にして出かけていく若い同僚の姿が、何か嬉しかっただけだった。

今の仕事を始めて、急激に近所に知り合いが増えた。老若男女を相手とした地元のための施設で働いているのだから当然と言えばその通りだった。若い方もいればご高齢の方もいる。そして同僚もいる。地元のスーパーでの食料品の買い出しでも、知った顔に会う。通りを歩いていたら同僚にも会う。身綺麗な格好をするか、そして、お得意の「短気ゆえの噴火」を家の外ではしないように、と、少し気を遣うようになった。

孤独な老人の話が時折上がる。自分の職場でもそれをいかに防ぐかが課題の一つだ。周囲によるお声がけ、ボランティアによる対応、さまざな取り組みが可能な昨今だ。ただご高齢の方もそれぞれの人格があり、そのようなことを嫌う方もいれば、歓迎する方もいる。押しつけはいけない。意思を尊重して対応していくという事を知った。

幸いにまだ自分達は若い。しかし、ここ数年の時の経過の早さを見るならば、下の世代に声を掛けられる年代になるのも遠い先ではないような気もする。

今日の同僚のお声がけは、そんなことのかなり早い訓練だろう。そのように受け取った。

孤独にならぬようにしないといけない。常に新しい世界に接して、前頭葉を刺激していかなくてはいけない。新しい世界に触れるにはレーダーの感度、つまりは好奇心を高く持つのが良いだろう。どんな人とも話しをする社交性を持つことも大切だ。相手の目をしっかり見て人と話せば必ず何らかのことが手に入る。押し黙って過ごす人生はつまらない。

地元社会をひとつとっても色々な社会的小集団活動があることを、今の仕事を通じて知った。何事も小さく始める。気楽に話しかける。失敗したら、性に合わなければ止めるだけ。そんなことでよいだろう。そうして過ごすと、少しづつ社会の輪が広がっていく事を感じる。それは愉しい事だった。会社生活を通じては同じような社会的属性の人としか会わない。しかし身の回りの社会は違う。だれもがひたむきに生きている。それが市井ということだろう。

自転車もようやく組みあがった。少し長い10分だった。さて走り出してから家に着くまでに、何人知った人に会い、挨拶をかわすのだろう。知人が広がるとは自分の視野が広がるという事。いつか片手を超えるようになりたいものだ。そんな夢想も愉しい。

外したフォークと本体を締めていたストラップを外して、フォークを本体に差し込んでいく。

しっかりヘッドパーツを締めてからはハンドルをステムごと差して六角レンチで締めるだけ。この工程わずか10分間で、知った人に声を掛けられるのも、なんだかおもしろい話ではある。